松本のビジョンについていくのに必死だった
松本のビジョンははっきりしており、オリジナルの曲だけで90分以上ステージをこなせるよう、ライブはアルバムを少なくとも2枚出すまではやらないと決めていた。実際、ライブ活動を始動させたのはデビューの翌年、1989年5月に前出の2ndアルバム『OFF THE LOCK』を出してからだった。現在も作品づくりと並んでB'zの活動の柱である「LIVE-GYM」と称するライブは、このとき東京・名古屋・大阪で初めて開催された。
B'zのステージデビュー自体はその少し前、三重県の合歓の郷(ねむのさと)で開催されたTM NETWORKのイベントだった。そこでB'zは5000人ほどの観客を前にオープニングアクトを任された。松本は後年、このときを振り返って、《横で僕はギター弾きながら稲葉を見てて、“これは絶対にいけるな”と思いましたよ。TMのクルーの人たちも“すごく良かった”って言ってくれたし》と、手応えを感じたことを明かしている(『月刊カドカワ』1998年1月号)。
当の稲葉は、松本のビジョンについていくのに必死だったようだ。のちに振り返っていわく《それは僕にしかわからない辛さだったかもしれないですね。逆にビジョンを持ってるほうは、それがわかってもらえないもどかしさみたいな辛さがあったかもしれないけど》(『週刊文春』前掲号)。
二人が衝突しない理由
それでも二人が衝突することはいままでなかったらしい。《僕たちは、他の人となら衝突することも提案としてやっているのかなと思う。ぶつかり合うというより、こういう感じなんですよね(指を交互に絡ませる)。自分の担当する部分に関する意識が強いですから》とは、結成20年に際してのインタビューでの稲葉の発言だ(『AERA』2008年6月23日号)。
25周年を迎えたときには、松本が《いい意味でせめぎ合いがずっとあって、これまで続けてこられたんじゃないかな》と顧みれば、稲葉も《何かしらリスペクトする部分がお互いにないと続けていけないと思うんですけど、ステージをやるたびに、これだけ長くやっていても、何かしら違う面が見られるんですよ。単純にすごいな、うまくなってる、とかね(笑)。そういう瞬間があるから、ずっとやっていられるんだと思います》と語っている(『AERA』2013年9月23日号)。