米津玄師が出演したテレビ番組が、ここ最近立て続けに放送された。8月にリリースされたアルバム『LOST CORNER』のプロモーションや、主題歌を担当した朝の連続ドラマ小説『虎に翼』(NHK総合)関連での出演である。
これまでの米津はどちらかといえば、マスメディアへの露出を控えてきた印象がある。特にテレビ出演はほとんどなく、それだけにベールに包まれた存在だった。メディア露出の少なさは、時に陰りを帯びた歌詞も相まって米津の神秘性をさらに高めていたように思う。芸能人の多くが神秘性を剥ぎ取られるSNSの時代にあって、その存在感は今もって希少だ。
そんな米津が続けざまにテレビに出演し、作品について、来歴について、自分自身について語った。その言葉をふりかえりながら、ドラマ『虎に翼』と米津が歌う主題歌『さよーならまたいつか!』の共鳴について考えてみたい。
寅子が繰り返す「はて?」という疑問
『虎に翼』は、社会的なテーマを中心に据え続けた朝ドラだった。もちろん、社会問題を明示的に扱った朝ドラはいくつもある。ただ、日本で女性初の弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子をモデルとした主人公に据えた『虎に翼』は、主人公自身が社会問題に正面から対峙し続ける存在として描かれており、その点でこれまでの朝ドラとは一線を画す。
物語ではジェンダー不平等はもちろん、司法の独立、非行少年の処遇、在日コリアンへの差別、公務員を含む労働者の争議権、原爆投下の戦争責任など数々の問題が取り上げられた。伊藤沙莉が演じた猪爪寅子、のちの佐田寅子が繰り返す「はて?」という疑問は、過去からの光を現代にあてる形で、諸々の問題を改めて問い直す場を切り拓いてきた。
寅子の問いは、公的な場と私的な場を横断するものでもあった。弁護士や裁判官といった仕事を通した社会問題との対峙は、ホームドラマ的なシーンとも交差し、過去にいくつものドラマが描いてきた家庭問題(家事分担、子育て、相続問題、嫁姑問題など)はこれまでと異なる形で語り直された。血縁に限らない親密な関係性が模索されるなかで、そもそも“ホーム”とは何か自体が問われてきた。そのような交錯的な問いに取り組む道程を描くことによって、寅子の“一代記”が画面上に映し出されていった。