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個性、オリジナリティ…米津が「嫌悪していた」言葉

 そんな『虎に翼』の主題歌の創作を、米津玄師はどのように進めていったのか。この問いに向き合うためには、米津玄師にとってタイアップとは何か、あるいはもっと本質的な問いとして、米津にとって創作とはどういう経験なのかを考える必要があるかもしれない。テレビ番組のインタビューのなかで、米津はこれまでの創作活動を振り返り次のように語った。

「自分じゃなくてもいいところに向かっていく、っていうことの連続だった気がするんですね。20代前半とか10代後半のころに、個性とかオリジナリティって言葉に対して、すごく信用ならなさみたいなものを感じてたんです。あるいはもう、嫌悪していたとすら言えるところがあって」(『EIGHT-JAM』テレビ朝日系、2024年9月8日)

2009年頃よりボカロPとしてニコニコ動画へ楽曲の投稿をはじめ、2012年にファーストアルバム『diorama』でメジャーデビュー。当時21歳だった(BALLOOM)

 もちろん、米津もオリジナリティを求めなかったわけではないだろう。ただ、米津が創作に際して向かったのは「自分じゃなくてもいいところ」、つまり他者がいるところだった。

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「後ろからポンって肩つかまれるような」経験を求める

「その人が一体どういうふうに考えているのかとか、その人が過ごしてきた、見てきた景色とか、そういうものを与えてもらうというか。で、もといた自分の場所から離れよう離れようとして、でも結局やっぱ、お前はお前だよなっていう、後ろからポンって肩つかまれるような。それを求めない限りは、本当に自分にしかできないものなんて見つかりようがないんじゃないかなっていう」(同前)

作詞・作曲・アレンジも手掛ける(米津玄師の公式Xより)

 自分にしかできない音楽が仮にあるとしても、それは自分の内側を徘徊していても見つからない。米津にとって創作は、他者が立つ場所から見える世界をいったん経由したあとで「後ろからポンって肩つかまれるような」経験として、つまり、自分の視野の外から不意にやってくる受動的な経験としてあるのかもしれない。言い換えれば、米津にとって創作は単に能動的なものというより、受動的な創造がやってくるための条件を能動的にしつらえる作業としてあるのかもしれない。