「関西弁あいうえお」などのセクシーネタでブレイクし、バラエティー番組でも活躍する清水あいりさん(31)。7月には結婚を発表したことでも話題となった。そんな彼女が不審者に襲われ命の危険もあった子供時代、壮絶な家庭環境、芸能界入りのきっかけを語ってくれた。(全3回の1回目/2回目に続く)

グラビアアイドルの清水あいりさん ©松本輝一/文藝春秋

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「初共演で打ち解けられるタイプじゃない」実は人見知りな素顔

――清水さんの取材は高校生時代からしていますが、当時は喋らない、おとなしい印象でした。

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清水あいりさん(以下、清水) 人見知りがすごかった時代かもしれないです。今でもすごいんですけど。

――現在のテレビでの姿を見ていると、人見知りという印象はないです。

清水 実際は初めてご一緒する共演者さんと打ち解けられるタイプじゃなくて。向こうから来てもらって初めて喋れるみたいな感じなんです。そこは芸能界では致命的だなとは思いながらも、何とか頑張ってます。

「この子は将来変な男が寄ってくる」空手を始めた“きっかけ”

――子供の頃ってどんな子だったんですか。

清水 子供の頃は空手一筋だったので、「空手の師範になるぞ」ってずっと言ってたんです。空手は3歳の頃、母方の祖父が母親に「この子は将来変な男が寄ってくる雰囲気があるから、空手とかやらせとかな」と言って、母親も「じゃあ自分の身は自分で守らなあかんなあ」となり、無理やり習わされました。

 子供の頃は泣きながら空手に通ってました。私が所属していた琉球空手の支部は道場がなくて、工場の駐車場で稽古をしていたんです。真冬や雨の中でも裸足で外に出て空手をやるから寒いし、足はかじかんでつらい。でもだんだんと空手の魅力が分かってきて、いつしか屋内の道場もできて足は痛くなくなりました。

 館長の厳しさは変わらなかったけど、空手がどんどん楽しくなってハマっていきました。型の部門では近畿大会で3連覇しました。

 

 実際に祖父の言った通り、小学1年生の頃から変な人が付きまとってくるようになりました。家が遠かったので友達とバイバイした後、一人で歩いていると不審者がついてくるので、気持ち悪い変なダンスをして「こちらの方が不審者やぞ」とアピールをしながら下校したりしてました。不審者と言ってもナンパとかじゃなくて、本物の変質者というかそういうヤバい人たちがきてました。後ろから首を絞められたりとか。