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「泣いて大阪帰ってくんなよ」15歳で上京する娘に父がかけた言葉

――上京について親には反対されなかったんですか。

清水 私は母親が結構年齢いってから産まれた子なので、母親はいつも心配していました。お父さんは逆に何でそんな心配せえへんねんっていうくらいで(笑)。

 私が東京に行くとなった時も「泣いて大阪帰ってくんなよ」ってだけ言って。私は「まだ15歳やで」とは内心思ったんですが「わかった」って返して。でも、その父親の言葉がずっと残っていました。

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 その言葉のおかげでつらいことがあっても、東京に残り続けられたのかもなとは今になって思います。「簡単に引き下がれんぞ」っていうのはありましたし、父親は私の事を信頼してくれていたからこそのあの言葉だったのかなと。

 

東京ヤクルトスワローズのダンスユニットに所属した過去も

――上京してからは東京ヤクルトスワローズのダンスユニット「Swallows Wings」(現Passion)のメンバーもやっていたんですよね。

清水 16歳の頃ですね。当時所属していた事務所に言われてダンスのオーディションに行ったんですけど、飲む方のヤクルトのオーディションだと勘違いしていて「飲むヤクルトにもダンスチームとかあるんや」みたいに思ってました。当時は阪神しか知らなかったんです……。

 ダンスの先生は女性だったんですけど厳しい方々で、広い球場でポジションから数センチズレると怒られる。ただ厳しい人に会うと惹かれちゃうんですよ。厳しくされると空手をやっていた頃を思い出してワクワクする。だから、すごく楽しかったです。

――ただ「Swallows Wings」は1年で辞めてしまいますね。

清水 次のシーズンになるまでに辞めて、ダンス以外のことをしたいなと思って。とある芸能事務所を自分で受けて、合格したんです。入る前には大阪の両親のところにも会いにきてくれて契約したので「ここはちゃんとした事務所だ」って思ってました。だから信じきっていたんですけど……。

撮影=松本輝一/文藝春秋