2024年3月に放送作家を引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった『もう明日が待っている』を刊行。SMAPの素顔を余すところなく描き出したのが鈴木おさむさんである。テレビの世界を離れて半年。いまこそ語れる「SMAP論」を、存分に披露していただこう。

 今回は、あの「謝罪放送」のときにも決定的な役割を果たした草彅剛についてのすべてを明かす。(全2回の1回目/後編に続く

草彅剛 ©時事通信社

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いつも変わらない安定感

 木村拓哉さんとラジオ番組を始めたのが僕とSMAPが関わるきっかけでしたから、木村さんとはいろんな話をしてました。そのあと、ほかのメンバーでいちばんたくさんしゃべるようになったのが草彅剛さんです。

 剛さんと深く話すようになったのは、放送作家として参画していた『SMAP×SMAP』の企画で、「古畑任三郎」のパロディで「古畑拓三郎」というコントをやったころからです。剛さんは昔もいまも、あのパブリックイメージのままの人。何事に対してもニュートラルで動じず、いつも変わらない安定感があります。

 そんな穏やかさと優しい雰囲気に包まれているからでしょう、剛さんはSMAP初期のころ、木村拓哉・中居正広の二枚看板の陰に隠れた印象がありました。それでも1997年に主演したテレビドラマ『いいひと。』が大ヒットして、状況は変わります。剛さんのブレークによって、SMAPのなかに人気の差なんてなくなりました。全員が売れっ子で人気者、かわるがわるトップを張れるグループとなり、それが長く人気を保つ大きいポイントとなりました。

中居正広

『いいひと。』で開花した剛さんの俳優としての才能は、いまやだれもが知るところですが、彼の芝居がガラッと変わり飛躍した瞬間を、幸いにも僕は目撃しています。1999年、つかこうへい作・演出の舞台「蒲田行進曲」で、ヤス役を務めたときのことです。