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綺麗なコップに氷と麦茶を入れて飲む。それが生活であり尊厳

石田 本書の執筆にあたっては、吉川さんの著書『哲学の門前』に出てくる、「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」というカフカのアフォリズムについてすごく考えました。前作はまず当事者に届くために書いていたけど、当事者による当事者のための本ではなく、そうではない人たちの方が多い世界の側に立って書くにはどうしたら良いのか。まだこのアフォリズムが理解しきれたとは思いませんが。

吉川浩満氏 (写真左)
1972年生まれ。文筆家、編集者。慶應義塾大学総合政策学部卒業。著書に『理不尽な進化』『哲学の門前』など。ウェブサイト「哲学の劇場」では文系、理系を問わず良書をわかりやすく紹介、批評している。『週刊文春』にて「私の読書日記」を持ち回りで連載中。

吉川 「君」でなく「世界」の側に立つというのはたいへんなことで、そうしない方がよい場合ももちろん多い。たとえば眼前の「生活」の部分。いま自分に危害を加えてくる奴がいる、悪い制度がある。そういった時は、まず自分に味方しなきゃいけない。

 だから逆に、執筆する上で月美さんに「君と世界の戦いでは世界に支援せよ」という言葉が響いていたというのは、書くということが月美さんにとっていかに大きなことになっているかということと同義だと思いました。

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斎藤 生活ってなんでしょうね。この本で言うとそれこそ「生活」というタイトルの章に出てくる、綺麗なコップに氷と麦茶を入れて飲むこと。飲むだけなら、ペットボトルに口をつけて飲めば良いけど、わざわざコップに入れたお茶を飲むことが生活である、と。すごく正鵠を射ていると思う。昼間は日差しのあるところで過ごすとか、そういうことが生活であって、イコール尊厳でもある。でも定義するとなると、とても難しい。

吉川 尊厳と自尊心、それはすごく大きいと思います。かつてナチの強制収容所では、ある人が髭剃りを決して止めなかった、という話をどこかで読みました。髭を剃るって収容所の生活ではほとんど意味のない行為だし、剃刀だって良い質のものがないだろうに、とにかく意地になって続けた。それがその人の生活の防波堤だったのかなと思いました。一つの尊厳の保ち方ですよね。

石田 本書の帯文を書いてくださった頭木弘樹さんは、何もかも嫌になるとわざと髭を剃らないそうです。「そんなことしたらもっと自分が嫌になりませんか?」と聞いたら、「やさぐれているんです、月美さん。これが私のせめてものグレです」とおっしゃっていて(笑)。

吉川 面白い!

斎藤 グレる、というのはアピールですよね。誰向けのアピールなのでしょうか。

石田 自分自身に対するアピールなのだと思います。自分に対して駄々を捏ねるというか。

斎藤 セルフネグレクトならぬ、セルフグレ、ですね(笑)。自分の意志が入っているというところが違いでしょうね。

石田 「生活」の章では、ほとんどセルフネグレクト状態だった私を友人が救ってくれたことを書きました。でも、私は病気に感謝なんかしていませんし、障害もなければないほうが良かった。今までの人生にたっぷり後悔と反省をしていますし、やり直せるならやり直したい。本を書いて反響をいただいて、変な言い方ですが、胸を張って「病気や障害に感謝なんかしていない。後悔と反省をしながらそのまま生きています」と言えるようになりました。

斎藤 月美さんの本には、語ることや生活を超えた喜び、つまりいい文章を書きたいという欲望や喜びが端々に感じられますが、これはゴールがない。ハッピーな人は文章書けないと思うんですよ。自己肯定感にあふれる人は本を書かないと、私は確信しています(笑)。

吉川 満ち足りていたら本を書く必要性、理由がないですよね(笑)。