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母を助けられなかった後悔の念

「父は、有名進学校を出て、六大学を卒業し、誰もが知る大企業で働いていました。そんな自分をよく自慢していましたし、それが唯一の誇りであり、拠り所のようにしていました。父の口癖は、『いい大学に入って、いい会社に就職した人間が勝ち』『そんなの常識だろ』でした」

 そのため、自分は単身赴任で家にいないことが多く、教育は母親に丸投げしているにもかかわらず、子どもたちの成績が悪いと母親を責め、時には暴力に発展することもあった。

写真はイメージ ©︎kana_design_image/イメージマート

「僕の成績が悪かったせいで父が母に暴力をふるい、逃げ出した母が僕の部屋まで助けを求めてきたことがありました。母の頭頂部からは血が流れていました。でも僕は情けないことに、父が怖くて母を庇うことができず、父の怒りが治まった後、ようやく『大丈夫?』と声をかけるのが精一杯でした。そんな自分が今でも情けなく、その時の母を助けられなかった後悔の念は忘れられません」

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 年齢を重ねるごとに井上さんも学習し、父親とは極力関わらないようになっていく。

 3歳上の姉と、「あいつ、やばいよな」と言い合い、父親が帰ってくる前にはさっさと自分の部屋に入り、休みの日も友達と出かけるなどして、顔を合わせないように努めた。

そのままの自分には価値がない

 父親の勧めで中学受験をし、井上さんは私立の中学校に進学。そのまま高校に進んだ。

 相変わらず父親は1週間に最低でも1回は母親を罵倒し、相変わらず井上さんは、自分の部屋に避難しながらもその声に怯えた。

「父の顔色や評価を気にしてばかりいた僕はいつしか、他人の評価という鎖でがんじがらめになっていました。他人からどう見られているかを気にしすぎるあまり、たとえば店に入れば、店員に『何も買わないのか』と思われそうで、何も買わずに出ることができないとか、寂しい人だと思われそうだから1人で飲食店に入れないとか、『こんなこともわからないのか』と思われそうだから質問ができないとか、親しい友人であっても、トイレなどで席を外した瞬間から自分の悪口を言われてないか不安になるなど、他人の目や評価を常に過剰に気にしていました」

 少しでもマイナスに評価されることを異常に恐れていたのは、その評価によって、自分の存在や価値が否定されたように受け取ってしまっていたからに他ならなかった。

「他人の評価ばかり気にしてしまっていたのは、自分で自分のことが認められなかったからです。そして、人に誇れるような趣味や特技などの“アピールポイント”がない、『そのままの自分には価値がない』と思い込んでいたからです」

 他人の評価ばかり気にして生きてきた井上さんには、この頃から無理が生じてきていた。

 井上さんは自身の心身のバランスを保つために、無理によって溜まったストレスの“はけ口”を探し始める。

 見つかった“はけ口”は、「アルコール」だった。