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「母はおとなしい人で、父に逆らったことは一度もありません。よく夫婦喧嘩って言いますが、一方的すぎて喧嘩にならないんです。父が怒り狂って怒鳴り散らしている間、母は黙っているだけでした」

 父親は激昂して怒鳴り散らすだけでなく、反省文を書かせることや、真冬の寒い中、母親を外に締め出してしまうことも少なくなかった。また、母親は自動車の運転免許を持っているにもかかわらず、父親が助手席に乗っていないと、運転することは許されなかった。

写真はイメージ ©︎yamasan/イメージマート

 さらに、父親を助手席に乗せていると、「今ウインカー出せ!」「何やってんだ! とろいな!」などと罵声を浴びせられるだけでなく、後頭部を叩いたり、顔を引っ叩かれることもあった。ひどい時は、カンカンに怒った父親が母親を車から降ろしてしまい、母親は3時間かけて自宅まで歩いて帰ってきたこともあったという。

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 そんな母親の救いになったのは、父親の規則正しい生活と、頻繁にあった単身赴任だった。

「多分父には親しい友人や同僚がいなかったんだと思います。仕事が終わると夕方6時には必ず家に帰ってきて、唯一の楽しみである晩酌をしてご機嫌になり、9時には寝てしまうんです。父がいない間と寝てしまったあとは、母は自由でした」

学歴至上主義で自己中心的な父親

 会社でのことは不明だが、家庭での父親は、自分中心に物事が回っていないとたちまち機嫌が悪くなった。

 小学校3年生の時、井上さんが高熱を出して寝込んでいると、習い始めたばかりの新しい剣道の防具が届く。それを見た瞬間、井上さんは嬉しくて高熱が出ていることも忘れ、防具をつけ、竹刀を持って遊び始めた。

 そこへ父親が帰宅。井上さんが気が付かずに遊んでいると、「家の中で竹刀で遊ぶな」と注意した。よほど嬉しかったのか、珍しく井上さんが父親の言うことを聞かずにいると、突然父親は竹刀を取り上げ、その竹刀で井上さんの顔面を殴り始めた。

「俺に逆らうな! 言うことを聞け!」

 井上さんは焼けるような激痛にたまらず別の部屋に逃げ込み、身体を縮こまらせて震えた。

 側で一部始終を見ていた母親は、

「何でお父さんの言うことを聞かないの!」

 と言って、庇ってはくれなかった。

 またある時は、父親とプロレスごっこをして遊んでいると、井上さんの足が父親に当たり、当たりどころが悪かったのか、たちまち不機嫌に。それまで楽しく遊んでいたにもかかわらず、鬼のような形相になると、本気の力で殴ったり蹴ったりされた。

 また、父親は学校の成績に執拗にこだわった。

 テストの点が悪いと、

「何でお前は俺の子なのにできないんだ!」

 という罵声を何度も容赦なく浴びせた。

 次第に井上さんは、「父の期待に応えられない自分には価値がない」と思うようになり、小学校の高学年になった頃には、自分を責めるようになっていた。