子どもの頃からずっと、自分や母親を支配してきた自己中心的な父親。それが自身の妻にまで及ぼうとしたとき、井上秀人さん(44)はついに父親を押さえつけ、こう叫んだ。

「こんなことをするなら、もう2度と実家には帰らない!」

 この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、井上さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでについてのインタビューだ。

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 一時はアルコール依存症に陥り、父への復讐で頭がいっぱいになってしまったという井上さんに、『毒父家族 ―親支配からの旅立ち』(さくら舎)という著書を出し、心理カウンセラーとして活躍するようになるまでの「トラウマ」との向き合い方について伺った。(全3回の3回目/最初から読む

井上秀人さん 著者撮影

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復讐と限界

 井上さんの飲酒の機会と量は、年々増える一方だった。

「お酒を飲むと、普段思っていたことや言いたかったことが何でも言えました。馬鹿に徹して周囲を和ませることに、ある意味命をかけていたほどです。人から注目され、必要とされるのが嬉しかったのです」

 しかし、いいことばかりではなかった。ハメを外しすぎて本気で注意されることもあり、離れていく友人もいた。

「お酒は僕にとって、“力の象徴”でした。幼い頃から自分の無力さを嫌というほど実感してきたので、自分のことが情けなくて嫌いでした。でもそれを認めることができず、自分と向き合うことを避けていました。お酒はそんな自分の嫌な部分を、覆い隠してくれていたのです」

 ところが、無理や背伸び、偽りにはいつか限界が来る。

 アルコールによる失敗を繰り返すようになると、飲酒することを妻に隠すようになっていった。激しい夫婦喧嘩も増え、しばらく口を利かないことも。

「飲酒が原因で母方の祖母の葬儀に遅刻するという失態を晒してしまったこともありましたが、『まだ仕事に支障をきたしていないから大丈夫。コントロールできている』と言って現実から目を逸らし続けていました」

 父親の激昂事件以降、2年ほど実家に帰っていなかった井上さんだったが、祖母の葬儀から再び3ヶ月に1回は実家に顔を出すようになっていた。

 しかし27歳になった井上さんは、今度は父親に黙って転職した。井上さんにとって転職することは、父親への復讐だった。

 転職先はこれまでと全く畑違いの広告代理店。知らない専門用語に翻弄され、激務が続く。それでも自分で決めた仕事であり、幼い子どももいるため、井上さんは無我夢中で仕事を覚え、働いた。

 そんな中、父親が飲酒して転んだ拍子に頭を強打し、入院したという知らせが入る。

「変わり果てた父の姿に平静を装っていましたが、本当は動揺していたのだと思います。居酒屋で1人で飲んで、初対面の客に喧嘩を売り、大喧嘩になりました。ことの発端は、『俺はこいつらみたいに毎晩飲んでは、社会や会社の愚痴を言って現実から逃げている奴らとは違うんだ!』と心の中で悪態をつき、僕が相手を見下す態度をとったこと。今思うとこの時の僕は、相手の中に自分を投影し、自分自身を見下していたのです。そしてその相手と自分自身から、『お前も一緒じゃないか! いい加減気付け!』と噛みつかれたのでした」

本屋での出会い

 父親との関係、妻との関係、仕事など、さまざまなことから目を逸らし飲酒に逃げてきた井上さんは、「今度こそ変わらなくては」と思った。

 しかしどうしたらいいのかわからない。井上さんは、とりあえず本屋に行ってみることにした。

「最初から心理学に興味があったわけではなく、本を読む方でもありませんでした。でも本なら、『1人で問題を解決する糸口を見つけられるのでは?』と思ったのです」