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 井上さんは、広告代理店に勤めながら、少しずつカウンセリングの仕事を増やしていき、35歳で「親離(しんり)カウンセラー」として独立。毒親問題に悩む人たちに、「親との関係から自分の人生を見つめ直すカウンセリング」を行っている。

「毒親の毒や、受けてきたトラウマを子どもたちに連鎖させない方法は1つではないと思いますが、僕は、自分の過去を受け入れることだと考えています。僕は今、過去の自分が一番他人に言いたくなかったことを伝える仕事をしています。これって結局、コンプレックスを強みに変えたということ。僕の経験が人の役に立つと気づくことができたことが、僕自身を変えたのだと思っています」

父と戦わなかったために、結局自分と戦うことになった

 30年近く抱えてきた「そのままの自分には価値がない」という思い込みから解放され、会社員ではない生き方ができているという点でも、父親へのコンプレックスを見事に克服している。

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「考え方は極端でしたが、父なりに妻や子どもが苦労しないように必死だったのだと思います。父がいなかったらこの仕事にも出会えませんでしたし、今は感謝しています」

 そう言って井上さんは、こう続ける。

「その家族のルールみたいなものを代々守ってきて、何の疑問も持たずに『みんながやっているから自分もやる』『中の上くらいでいられればそれが幸せ』と思い込んでいる人は、自分で考えて行動したり、他人と共同創造することはなかなか難しいですよね。変わることができない人って、友達がおらず、家族からも避けられてしまえば、『裸の王様』です。自分の本当の姿を見る機会がなくなってしまうんですよね。父の場合は、僕たち家族が父を避け、気づかせてあげられなかった。だから父のことばかりを責められないというのもあります。僕が父と戦わなかったツケは後で巡ってきて、結局自分と戦うことになったのだと思います」

 自分と戦った井上さんは現在、高校3年生、中学2年生、小学2年生の3人の父親だ。妻とは週に1回は2人きりで出かけるほど仲が良いという。

 母親は、井上さんや姉が結婚して家を出てしまった後、父親が仕事から帰宅する時間になると動悸がして息苦しくなったそうだが、最近では見違えるように元気になった。おそらく母親にとって、井上さんと姉が生きる支えだったのだろう。

40~60歳は板挟みの世代

「最近、40~60歳くらいの僕と同世代のクライアントさんが増えているのですが、親世代とかそれ以上の人たちから『凝り固まった古い価値観』を押し付けられてきた僕たち世代と、僕たちの子ども世代の『個を大切にする自由な価値観』の板挟みになっていることが、僕たち世代の生きづらさの一因なのではないかと感じています」

写真はイメージ ©︎kimtoru/イメージマート

 毒親育ちの人が、「自分の親は毒親だった」と気づくタイミングは、人生で4回ある。1回目は一人暮らしをするとき。2回目は結婚するとき。3回目は自分の子を持ったとき。最後は、親を介護するときだ。40~60歳くらいの人は、3回目と4回目を同時に経験する人も少なくないため、「生きづらい」と悩む人が多いのも不思議ではない。

 いずれにせよ、「国や社会が決めたから」「みんながこうだから」と、長いものに巻かれ、朱に染まって生きてきた古い価値観のままでは、もう幸せには生きられない。個人がしっかりと自分と向き合い、「幸せとは何か」を追求し続けることが、実は幸せへの一番の近道なのかもしれない。