コミック『生きるために毒親から逃げました。』(イースト・プレス)は、作者の尾添椿さんが自身の両親が「毒親」だと気づき、絶縁に至るまでを描いたエッセイ漫画だ。

『生きるために毒親から逃げました。』(イースト・プレス)

 現在は首都圏に移り住み、漫画を描いて暮らしている尾添さんに、「これは虐待だ」と気づくまでに時間がかかったという壮絶な体験や、日本の家族観が抱える閉鎖性、毒親から逃げたいと考えている人へのアドバイスなど、改めて詳しく伺った。

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小4で「なんかこいつらおかしくね?」と思った

――ご両親からかけられて傷ついた言葉の中で、一番古い記憶にあるものを教えてください。

尾添椿さん(以下、尾添) 4歳の頃、おもちゃで遊んでいて「片付けなさい」と言われた時「いや!」と子供ならではの意思表示をしたら、「言うことを聞かない子だな~、お父さんそんな子いらないなあ~、お母さんと二人でハワイに行っちゃおうっと!」と言われた時は大泣きしました。

 置いていかれると分かって泣く私を見て、笑う両親が怖かったです。

 色々な出来事を経てから思い返すと、あれは本気で言っていたなと。もう少し反抗的でやんちゃな子供だったら祖父母の家か叔母の家に預けられてたと思います。

――「他の親とは違う」と気が付いたのはいつ頃からでしょうか。

尾添 小学4年生頃です。

 自室の机の引き出しにしまってあった授業の成果物を勝手に見られていた上に、家族間で回し読みされていたことにブチ切れた私に「お金あげるから許してよ」と笑う両親を見て「なんかこいつらおかしくね?」と思いました。

『生きるために毒親から逃げました。』より

 言い分を聞いては笑って、相手にしない。怒る子供に飽きて、お金を渡す。子供がなんで怒っているのか、まったく興味がない。「もしかして私、愛されていない?」と気づいていましたが、本を読んだり映画を見たり娯楽にのめり込んで分からないふりをしました。

「人工授精はどうなの?」に虐待と確信

――作品でも描かれていますが、改めて「これは虐待だ」と確信したのはいつですか。 

尾添 高校1年生のとき、大学病院に2か月ほど入院したことがあって、執刀医が私の精神的不調に気づいて院内の精神科を手配してくれました。広汎性発達障害(のちに発達性トラウマ障害と診断される)と学習障害の診断が下りました。

 異常なまでに算数ができない理由が判明して安心した私に対して、母親は「障害なんて言われないほうがよかった、黙っていれば分からない」、父親は「お前が障害者なんて認めたくない」と言って、進学や就職をすることも認めてくれませんでした。

 そんな疲弊する出来事が続いたあとに「家のことを考えろ。養子をとって家を継ぐために育てろ」と言われ「自分たちで養子を貰えばいいのではないか」と反論した際、母親と殴り合いになって。

 父親が救急車を呼んで搬送されたあと、ベッドで憔悴している私に向かって母親が「人工授精はどうなの?」と笑顔で言った瞬間に「今までの全てが虐待だ」と確信しました。