本人ですら気づけない「虐待」とどう向き合うか
――最近では「毒親」という言葉が広く世間で使われるようになってきていますが、そんな状況についてどう思われますか。
尾添 昭和・平成あるあると言われるものの中で、特に家族に関するものは虐待に相当するものが多いと思います。大人になり、親になって子供を育てるうちに虐待を受けていたことに気付く人も多くいます。最低限度の衣食住を確保するだけが親の役目ではないし、子供は放っておいても育たない。
毒親という言葉が頻繁に、かつスラング的にも使われるようになった今は、子供と親・家庭の在り方に関心が向いてきた証拠だと思います。
――尾添さんも、自分がされていることが「虐待」だと気づくまでに時間がかかったと作中で書かれています。「虐待」と気づけないようなご自身の環境とは、どのような心理的・社会的状況の中にあったと思いますか。
尾添 仕事と肩書と上辺がしっかりしていればいい、そんな社会的状況の中にあったから自分自身も気づけなかったと思います。
由緒あるとか伝統とか、そういう言葉が出てくる、いわゆる「良いお家柄」に産まれてしまい、そこで育つ子供が家で虐待されているとは誰も思わないので、周囲も気づきませんでした。
夜通し飲まされる酒とゲロのニオイを隠すために香水を使っていた中学生時代、一人だけ気付いた大人がいました。中学時代のカウンセラーさんです。
当時はまだ「心療内科にかかるなんて、弱い人間の証」という風潮が強く、人の気持ちに寄りそう時代ではありませんでした。
衣食住の面倒と、諸々の社会的手続きの面倒を全て親がみていたことも大きいです。それも家の体裁のためでしたが……。※詳しくは『生きるために~』参照。
――同じような状況に置かれた人に対して、できるだけ早く手を差し伸べるには、周囲の人間はどうするべきか、どのような制度の改善が必要だと思いますか。
尾添 虐待を受けて育った人は自律神経の乱れや傷つき体験が多く、リラックス経験や自律神経の調整機会がなく、自分で自己調節ができない人が多いです。
結果どうなるかというと、依存症に陥ったり対人関係で常にトラブルを抱えたり、事件が起きるレベルまで性格が悪くなったりします。だから、触れたくないような厄介な人間でも、周囲の人が一度しっかり話を聞くことが大事だと思います。
トラウマ治療の保険適用、未成年は保険証なしでも医療機関受診可能などの制度改善で、助かる子供は増えます。
子供が「家庭から離れたい」と言った際に一時避難できる場所が公的機関として存在してほしいです。
あまりにキツくて作品には描かなかったこと
――「逃げよう」と決意したきっかけの出来事について、改めて教えてください。その決断はご自身の中でどのぐらい決意のいるものでしたか。
尾添 「跡取りを産んで、家と苗字を守っていくことがお前の使命だ」と言う父親と「人工授精で産まない?」と笑顔で言った母親、どちらが用意したか分からない人工授精のパンフレットと一緒に、実は特別養子縁組のパンフレットも渡されたんです。これはあまりにキツくて『生きるために毒親から逃げました。』では描きませんでした。
両親の言動から、私が産んだ子供を戸籍上は私のきょうだいとして育てる気なのではないかと察した時に「一刻も早く家から逃げないと、命にかかわる」と感じた時の決意は、迷いがなかったです。