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――逃げた後のご両親の反応や態度について、どう思われましたか。特に印象に残っている言葉があれば教えてください。

尾添 家から逃げたあと、運悪く父親からの電話を取り、喫茶店で会おうということになりました。対面した時は謝っていた父親でしたが、私の友人を悪く言うなど攻撃性を隠せていませんでした。さらに、母親からの差し入れに林檎入りのものがあることに絶望した旨を伝えた時「そんなこと笑って許してあげればいいじゃない」と言われたことが印象的です。

 笑って許してほしいという願望を押し付けるな、と思います。

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「心理士さんとの会話から私の人生は始まった」

――辛い状況の中でも手を差し伸べてくれた人たち(心理士さん、ご友人など)がいたと描かれています。かけられた言葉の中で特に印象に残っているものはありますか。

尾添 心理士さんの「あなたは子供を産むために存在しているわけではない、親の期待のために産まれたんじゃない、あなたは一人の人間なの」という言葉です。

『生きるために毒親から逃げました。』より

 この時の会話から私の人生は始まったと思っています。自分の置かれた状況、虐待がずっと存在していたこと、医療福祉に従事している人が感情的になるくらい酷い状況にいると気づけませんでした。

 その後、友人が匿ってくれた際に全てを話した時「私は椿さんと友達になれて嬉しいよ、あなたが生きててよかった」と言われた時、苦しみが和らぎました。

 今もこのことを思い出すと涙が止まりません。初めて人の優しさに触れた瞬間だったと思います。 

これから「逃げる」人へのアドバイス

――これから「逃げよう」と思っている人に対して、気をつけたほうがいいこと、アドバイスがあれば教えてください。

尾添 逃げると決めた瞬間から、他人に期待しないこと。全てが自己責任になります。その上で動いている時に助けてくれた人のことを人は一生忘れないように出来ているので、自分の行動決定権に他人を関わらせないように。

――作品では、分籍や住民票の閲覧制限など、絶縁のための手続きについても詳しく描かれています。大変さは感じましたか。日本の現状の制度についてどう思われますか。

尾添 住民票の閲覧制限は警察に行ってから役所に赴かなければならず、警官と職員に何度も同じ話をしないといけないので、心労がありました。(編注:自治体によって閲覧制限の方法は違います)対して分籍の手続きはとても簡単でした。

『生きるために毒親から逃げました。』より

 最近、戸籍謄本を取る機会があって分籍した自分の戸籍を確認しました。分籍しても戸籍事項に両親の名前があって「結局この名前を見なきゃいけないのか」と思いました。

 血縁であっても、個人の情報はその人だけのもの。日本の法律では国際結婚の場合は夫婦別姓なのに、日本人同士の結婚で夫婦別姓を認めていないところに共同親権を持ち込もうとする流れを見ていると、家庭内における他者との境界性は制度上でもしっかり引いてほしいと思います。