突然キレて怒鳴り散らす父親の存在が、家の中を常にピリピリさせていた。小学生の頃、言うことを聞かなかったために、竹刀で顔面を殴られたこともあった。井上秀人さん(44)の父親は、そんな「毒父」と呼ばれるような人だった。
この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、井上さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでについてのインタビューだ。
『毒父家族 親支配からの旅立ち』(さくら舎)という著書を持ち、現在では心理カウンセラーとして活躍する井上さんに、父親の支配を振り切るまでの苦悩の日々について聞いた。(全3回の2回目/続きを読む)
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人生初めての選択
ちょうど単身赴任で父親が家にいなかったのをいいことに、井上さんは高校生で「アルコール」に手を出した。すると最初こそ罪悪感に苛まれたが、次第に「自由」や「力」を手にしたような気分になり、「親に復讐しているかのような高揚感」を感じるようになっていた。
飲酒によって、井上さんは「自分は自分をうまくコントロールできている」と錯覚するようになった。
「無意識に外的なものに依存してしまう根本原因は、弱い自分を認めずに、無理をし続けてしまうことにあります。それは、本来の自分を裏切り、苦しめることです。そして、“無理して律した自分”で接する相手に対しては、嘘をついていることになり、自分と相手、ダブルで裏切っていることになるのです」
今でこそこのように言える井上さんだが、当時は苦しみ、もがき続けていた。
「父にはことあるごとに『いい大学に入ることがその後の人生を決める』『学業ができない人間には価値がない』『男がお金を稼ぐことはものすごく大変なこと』などと言い聞かされてきました。そんな環境で育った僕は、『仕事は辛くてつまらないこと』だと思うようになっていました」
中学、高校とエスカレーター式に進んできた井上さんは、大学も同様に進んだ。
「自分の意思で主体的に選択して行動に移したことは一度もなく、動くときは周囲の意見を気にしての場合がほとんどでした。だから何か嫌なことがあるとすぐに諦めてしまい、何か1つのことに打ち込んだ経験は皆無。そんな中途半端な自分を見ないようにするため、遊んでばかりいました」
井上さんが人生で初めて自分の意思で選んだのが、就職先だった。
「父はもう、私が一流企業に入れないことがわかっていたのか、幸いなことに、就職先のことをとやかく言ってくることはありませんでした」