「こら! 檀家さんが亡くなってるんだぞ」と注意したことも…。2017年、37歳のときに妻と離婚した、浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さん。シングルファザーになって間もない頃、あることがきっかけで「お通夜のある日」が子どもたちとって、楽しみのある日に。いったい何が? シンパパ住職の奮闘記を綴った新刊『住職はシングルファザー』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

浄土宗・龍岸寺住職の池口龍法さん(撮影:新潮社)

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新米シングルファザーの難関

 もうひとつ、規律正しい生活の柱にすえたのが、食事だった。

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 サラリーマン家庭に暮らす人には想像しがたいだろうが、お寺に暮らしていると、仕事と育児がひとりでに両立してしまう。仕事場と家庭が同じ空間にあるからである。

 遠くまで電車通勤しているサラリーマンなら、平日は子供が起きる前に出かけ、帰るのは子供が寝静まってからということも珍しくないだろう。しかし、お寺の住職は通勤時間ゼロ分である。朝食も夕食も子供と同じ時間に食べられるし、学校が休みの日は昼食ももちろん一緒である。しかし、それゆえに、子供が幼いうちは仕事になかなか集中できないとも言えるのだが。

 せっかく、いつも一緒にご飯を食べられるのだから、この時間を大事にしようと思った。

 お寺の中では、ご飯は単に空腹を満たすためのものではない。ひとつの立派な修行である。修行道場に入っている時には、アツアツのご飯が目の前にあっても、すぐに「いただきます!」と箸を手に取ってはならない。食作法といって、般若心経を唱えたり、食の恵みへの感謝の言葉を述べたり、ご飯を少しだけ取り分けて他の生き物におすそわけしたりという一連の作法がすべて終わってはじめて、「いただきます」である。しかし、厳寒の日などは、ご飯は容赦なく刻々と冷めていく。すべての作法が終わった時には、もう湯気も立ちのぼらなくなっている。

 家庭での食事ではそこまで丁寧に行わないが、心構えは変わらない。

 私の子供時代には食卓に家族がそろったら合掌し、「本当に生きんがために今この食をいただきます。与えられたる天地の恵みを感謝いたします」と唱え、さらに「南無阿弥陀仏」を十回唱えてからようやく「いただきます」であった。