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 幼き日の私にはこれが退屈で仕方なかった。学校の給食のように「いただきます」だけで、せいぜい十分だと苛々していた。いや、「いただきます」を言わなくても、食事の味は変わらないとさえ思った。

 しかし、シングルファザーになった今、修行時代よりも食事の大切さが身に染みてわかった。

 家事の中で、洗濯や掃除よりも、圧倒的にプライオリティが高いのが、食事である。食事の時間が遅くなり、空腹に耐えられなくなってくると、子供たちの機嫌が悪くなる。だが、新米のシングルファザーには、毎日定刻に食事を用意するなんて、極めてハードルの高い課題である。子供のご機嫌を取るために、ファストフードやコンビニ弁当を多用して時間に間に合わせることもひとつの選択肢だったかもしれない。

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 でも、私はせっかくなら私が用意した食事を通じて、手を合わせて「いただきます」と唱える意味を、教えたいと思った。

「外食は月に一回」という約束

 そのためには、私がとことん調理に向き合わざるをえない。

 学校から帰ってきた子供たちに「遊ぶより先に宿題をやりなさい」と言うならば、親だって、たとえしんどい時でも料理を作るべきである。離婚前は夫婦喧嘩で煮詰まった日などはピザを取ったり外食したりして調理から目を背けることもしょっちゅうだったが、そういう親の背中をもう見せたくはない。だから、心を鬼にして「外食はしない。出前も取らない」と子供たちに宣言した。

「ちゃぶ台を囲む」という古き良き日本の風景のように(お寺もさすがにダイニングテーブルで食事をしているが)、家族三人で食卓を囲み、嫌いなものが出てきても、残さずきちんと食べる。そして、家族で会話をする。これをきっちりと一か月続けたら、「好きなレストランに連れて行ってあげる」と約束した。ご褒美の外食のお店は、私が一切不満を言わないのがルールである。ファストフードでもファミレスでも子供たちのお望みのお店に連れていった。本当は、「お父さんだって一か月我慢したから選ぶ権利がある」と思ったけれど、ぐっとこらえた。この約束事によって、ずいぶん規律のある生活になった。