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西村 その頃に流行っていたアクセサリーとか服ですね。ファッションには結構こだわりがあって、刑務所でもサンローランのメガネをかけていましたから。もともとはサングラスだったんですが、刑務所に入るにあたってメガネが必要だということで、フレームはそのままレンズだけ入れ替えたんですよ。

 ちゃんと願箋(受刑者が各種の願い出をする際に職員に提出する書類のこと)を書いて正式に許可が下りたのに、1か月くらい経ってから「やっぱりそのメガネは派手だからダメだ」と取り上げられて、あれは納得がいかなかった。

――ヤクザは高級車に乗っているイメージですが、まこさんは車にあまり興味がなかったんですか?

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西村 未成年のときに無免許で捕まっているから、そもそも免許を取るのが27歳と遅かったんです。なのでヤクザになってからも自分の車をしばらく持てなくて、会長のベントレーとか、ほかの組員の車をそのつど借りて乗っていました。

初めて入れた入れ墨は80万円

――入れ墨は何歳のときに入れたんですか?

西村 最初に入れたのは18歳です。名古屋で一番有名な司忍さん(六代目山口組組長)と同じ彫荘さんという彫師さんにお願いしました。とても人気の方なので、週2時間しか予約が取れず、両腕の八分袖と身切り(入れ墨と肌の境目)を入れるのに1年近くかかったかな。費用は80万円程度でした。デートクラブを起業して、お金はあったので。

――商才がありますね。

西村 たまたまいくつか当たっただけですよ。でも確かにお金に困ったことはありませんね。お金がないときは、実家のお母さんに連絡してお小遣いをもらっていましたし(笑)。お金が欲しかったというより、「ヤクザとして成功したい」とか「上り詰めたい」という気持ちが強いから結果的に儲けていたという感じです。

――しかし、いくら成功したい気持ちが強くとも、女性ということでヤクザ社会で苦労したことはありませんでしたか?

西村 意外とあまり苦労はしませんでした。事務所の電話当番のとき、電話に出たら「男? 女?」って聞かれるくらいですかね。低い声で「男です」と答えていました(笑)。会長たちからは男のヤクザと全く同じに扱われていたので、逆に、女でやりやすかったこともないかもしれません。部屋住みのときは、ほかの組員と一緒に10人くらいで雑魚寝でした。