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「常にイスラエル推しでなければならない」という国是が疲労と諦念に変わる?

 この件、いくら先に手を出したのがパレスチナ武装勢力側とはいえ、その後のイスラエル軍(というかネタニヤフ政権)による報復攻撃の徹底した凄惨さをどこまで許容できるのか、という難問をドイツ人は突きつけられた。誰がどう見ても「イスラエル政府の姿勢」の道義的正当性はメチャクチャ疑問だ。

 しかしナチスの反省からスタートした戦後ドイツの国是は、「常にイスラエル推しでなければならない」という構造にハマっている。

 本来であればユダヤ人、イスラエル、ネタニヤフ政権を一体で捉える必然性はまったくないのだが、そうなってしまっている。そんなデリケートな問題に先例のない踏み込み方をして炎上するのは誰も望まないからだ。

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イスラエルのネタニヤフ首相 ©️AFLO

 これぞドイツ的道義のダークサイドというか、慣習法・自然法的にあきらかなはずの観点が自動的に抑制されてしまう。他国から見ると感覚的におかしくても、これは現代ドイツ社会の「前提」であり、現状ちょっとどうしようもない。

 だが人間である以上、あのパレスチナ周辺の状況を見て感覚的に割り切れない面が生じるのは当然だ。こんなことのためにドイツは頑張ってきたのか。戦後の自己批判の先には国際的な善と正義の達成があるのではなかったか。これは裏切りではないか……。しかし訴えるべき窓口はどこにも存在しない。

 無言のうちに疲労と諦念が押し寄せるのも当然といえよう。

 ひょっとすると後世に、ドイツの戦後理性の根幹が大きく揺らいだ瞬間とされるかもしれない。

©iStock.com

 また、ガザ地区問題をきっかけにドイツ国内で反ユダヤ主義が再燃した問題は日本でも報道されているが、実態にはそれ以上のいやらしさがある。

 イスラエルの姿勢について、在独パレスチナ人やイスラム教徒が怒るのはもちろん、極右勢力がプロの手並みで煽りまくっている。しかも本来的にはネタニヤフ政権を糾弾すべきところ、攻撃対象を巧みに「ユダヤ人」全体にすり替えながらアピールをまき散らすのだ。

 このように「部分的な事実を含む」フェイクニュースや極論が力を増し、旧来的な理性とされていた基準がどんどん侵食されてしまう。極論主義者が嬉々としてイスラエルを攻撃し、ドイツ的道徳観を身につけた人間ほどストレスをためるという地獄のような情報環境になりつつある。