テレビのニュース番組の「街の声」の中に安倍再登板に厳しい声が紹介され、安倍がそれを結構、気にしている、とか、木村太郎(衆院議員、青森県)ら清和会の若手中堅数名が安倍に「今回は、町村さんに譲り、出馬を見送るべきだ」と血判状を出したことで気落ちしている、とか。
町村さん――同じ清和会に属する町村信孝元外相(衆議院議員、北海道)のことである。
もう一度安倍に会い、ねじを巻きなおす以外ない。菅はいてもたっても居られず、この夏の昼下がり、安倍邸を訪問したのだった。
居間に通された。
安倍は妻の昭恵が外出していて、お構いもできずにすまないと言い、お茶を出した。
時候の挨拶もそこそこに、菅は本題に入った。
「私は安倍さんでやる気だし、私は勝てると思います」
その頃、自民党総裁選への候補者としては谷垣禎一、石原伸晃、石破茂、町村信孝、林芳正(参議院議員、山口県)などの名前が取り沙汰されていた。菅は、石破、石原、安倍の3人の対決となったシナリオを描き、票読みをしてみせた。
「最初の投票ではけりがつかない。割れます。ただ、決勝戦に残れば、結構、こちらの人数が多く出る。十分に勝てる可能性があると思います」
菅はさらに個々の議員の投票予測をしてみせた。
菅は議員の名前をコピーした紙を持参してきたが、安倍は真新しい『国会便覧』を隣の部屋から取り出してきた。
「彼は、石原支持ですが、決戦投票になればこちらに来ます」
「この議員は実は、初回当選から安倍さんのファンです」
そうやって一人一人、〇と△をつけて行った。
結論として、菅は次のシナリオを描いて見せた。
・1回目の投票は地方票に強い石破が過半数を取る。
・安倍が勝つためには1回目の投票で2位に入る必要があるが、最悪でも40票以上の差をつけて石原には勝てる。
・3位の石原票は、決選投票ではほとんど石破には行かない。2位・3位連合の形になれば必ず石破に勝てる。
安倍は、ずいぶん経ってから、「あの時、出ろと言ったのは菅ちゃんと昭恵の2人だけだった」と菅に言ったことがある。
菅は「出ろ」と言っただけではない。「勝てる」と言ったのだった。
濃密な1時間だった。
〈もう大丈夫だ。安倍さんは出る〉
帰りのエレベーターの中で菅は深呼吸をした。
(船橋洋一『宿命の子 上』第一章「再登場」より一部抜粋)