同志的関係を結ぶようになったのは、2006年9月の自民党総裁選からである。安倍は出馬にあたって菅に「再チャレンジ支援議員連盟」をともに立ち上げてほしいと頼み、議員連盟の人選も菅に任せた。菅は党内の派閥を超えて、安倍を支持する中堅・若手議員に働きかけた。安倍が所属する清和会のドン、森喜朗は「安倍君、順番というものがある」と安倍を制し、福田康夫元官房長官を推していた。第一次安倍政権で菅は総務相に就任した。
しかし、安倍第一次政権は翌2007年、あっけなく倒壊した。
あれから5年が経つ。無様な終わり方をしたこともあり、安倍に対する風当たりは依然、きつかった。「安倍はもう終わった」との受け止め方が一般的だった。
「私は勝てると思います」
〈風向きが変わってきた〉
と菅が感じ始めたのは2012年の春ごろからである
菅は、総裁選に出るよう再三、安倍を説いた。
「円高・デフレ脱却による日本経済の再生、東日本大震災からの復興、尖閣諸島や北朝鮮の問題による危機管理の3つをやるのは安倍さんしかいない。絶対に出るべきです」
しかし、安倍は「そうだよなあ」と気の抜けた返事を繰り返すだけだった。
2012年8月15日。安倍はその日の午前、萩生田光一を伴って靖国神社に参拝した。
萩生田は安倍が目をかけてきた政治家だが、2009年の衆院選挙で落選し、この時は浪人中だった。
この日、尖閣諸島の魚釣島に香港の「保釣(ほちょう)行動委員会」の活動家ら7人が上陸したとテレビが報じた。沖縄県警と海上保安庁が、上陸した7人を含む14人を入管難民法違反容疑で現行犯逮捕した(2日後、全員を香港へ強制送還した)。
二人は、参拝した後、日本橋の蕎麦屋「砂場」で昼食を共にした。
萩生田は安倍に「次じゃなくていいんじゃないですか」と言った。
9月の総裁選への出馬は思いとどまるべきだ、との意味である。
安倍の側近や盟友のほとんどが「まだ早い」「下手に出て、負けたら、もう終わりだ」と再登板には慎重だった。
しかし、菅は違った。機が熟してきたと感じていた。
その日の夜、菅は安倍を銀座の焼き鳥屋に誘った。何度も何度も安倍に立つべきだと説いた。3時間が過ぎた。最後に安倍は首を縦に振った。
「振り返って、もっとも誇らしく思う」瞬間だった、と菅は後に述べている。
その直前に共同通信の世論調査(実施:8月11~12日)の結果が発表された。
「次の首相に誰がふさわしいか」の質問では、石破茂9・8%、石原伸晃9・6%に続いて、安倍が6・7%で三位に入った。
石破茂(衆議院議員、鳥取県)、石原伸晃(自民党幹事長;衆議院議員、東京都)と違い、安倍はまだ出馬への意欲さえ表明していない。にもかかわらず、三位に食い込んでいる。自民党総裁の谷垣禎一よりも上位にある。
菅は、この世論調査の結果を安倍に電話で伝えた。安倍はそれを聞き、元気づけられたようだった。
もっともその後、知り合いのジャーナリストから「安倍が弱気になっている」との情報が菅に入った。