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妊娠、逮捕、駆け落ち…そして結婚

 この小学校で、事件が起こった。父の癌が見つかり、流産も経験する悲しみにあったメアリーは、担任していた6年生のサモア系男児、ヴィリ・フアラアウと関係を深めていった。大家族のなかで親にあまりかまわれていなかったヴィリの芸術の才能をサポートして旅行や宿泊を重ねるうちに、性的な関係、つまり児童性的虐待に発展したという。1996年当時、34歳のメアリーはヴィリの母親と3歳ほどしか違わず、13歳のヴィリはメアリーの長男と2歳ほどしか違わなかった。

 1997年、夫がラブレターを発見したことで逮捕されたメアリーに、言い訳のすべは無かった。ヴィリの子どもを妊娠していたためだ。出産後、児童強姦罪を認め、翌年に刑期を終えると、未成年との接触禁止令をやぶり、またもやヴィリと逢瀬を重ねた。駆け落ちをしようとしていた形跡のある車内で一緒にいるところを発見されて再逮捕された後、ヴィリとの2人目の娘を出産して、夫とは離婚した。

写真はイメージ ©AFLO

 2004年にメアリーが釈放されると、成人になっていたヴィリが彼女の接触禁止令を取り下げさせた。そして翌年、それぞれ43歳、22歳となった二人は結婚する。200人が招待された結婚式は、4000本の蘭が飾られ、ティファニーの食器が引き出物として贈られる豪勢な催しだった。

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性犯罪という認識の欠如

 ゴージャスな挙式を支えていたのは、犯罪大国アメリカの好奇心だった。当時、メアリーの事件は「真実の愛か禁断の犯罪か」といった観点で大きな注目を集めていたのだ。結婚式にしても、テレビ局が独占放送のため出資したものだった。

 結婚後、メアリーは法律事務所、ヴィリはホームセンターで働いたが、2児を育てる親として、お金が必要だった。そのため「スキャンダラスなカップル」としてメディア取材を受け続け、ときには娘たちもまじえて愛を語っていった。

メアリーと夫のヴィリ ©AFP=時事

 こうしたメディアの熱狂は、今では考えられないものだ。よく指摘されるのは、性別が逆、つまり女児が被害者だったならもっと非難されていたであろうこと。90年代当時、女性の性犯罪者という存在が認知されていなかったからこそ、世間はこの事件を禁断のラブストーリーのように扱って盛りあがったのだ。じつは、性教育から離されて育ったメアリー自身も、そのように考えていた。晩年まで、自分が犯罪を犯していた認識はなかったと主張しつづけていた。

 ヴィリが34歳になった2010年代後半、つまり10代の子を持つ親として犯行時のメアリーと同じ年齢になったころ、夫婦は別居と復縁を繰り返すようになっていった。テレビでの受け答えも不穏になっていく。事件について質問されたメアリーは「あの時の関係でどちらがボス(上位)だったのか」ヴィリに問いつめていき、不安げな相手に「自分が追いかける側だった」と認めさせた。2019年に離婚が成立すると、メアリーは癌をわずらい、翌年、ヴィリと娘たちに見守られながら58歳で亡くなった。