歌舞伎町でNo.1ホストに輝き、そしてテレビの世界で活躍するまで城咲仁には人知れず苦悩していた日々があったという。父に「目が腐ったな」と言われた若き日々を振り返る。(全3回の1回目/続きを読む、#3を読む)

 

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バンドのメンバーの死をきっかけにバーテンダーを辞めて

――実家は板橋、町中華で有名な『丸鶴』ですが、高校卒業後は後継問題を抱えながら家を飛び出して、元々興味があったバーテンダーとして活躍されます。しかし、突然お店を辞めることになったとか。

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城咲 バーテンダーとして年齢給以上にはもらってはいたんですけど、労働時間と対価があってない。働いてもお金が貯まらないし、未来に不安を感じていた矢先、当時組んでいたバンドのメンバーが首吊り自殺をしたんです。そいつは地方のお坊ちゃんで、俺と同じく後継問題で揉めていて。彼が死ぬ前に仲間のところに一人一人挨拶に行って、最後の最後、俺が働いていたショットバーに来たんですよ。ビールを2杯だけ飲んで、帰ってそのまま死にました。

 僕ね、様子がおかしいから「鍵渡すから、俺んち泊まっていけよ」「仕事終わったら飲みに行こう」って言っても心ここにないというか。彼の残像がお店に残っちゃって働けなくなって店を辞めさせてもらったんです。

 

――気持ちもふさぎ込んで

城咲 その後は半年くらい飲み歩く生活になって、友達から借金も作りながら、いよいよお金がなくなって実家に帰ったんです。実家でも朝から酒を浴びるような生活をしていたら、数年間、口をきいてなかった親父が一言「目が腐ったな」って。そこで、頭がかち割られたような気持ちになったんですね。彼が亡くなって半年間、時間もお金も無駄にしてきたことに恐怖を覚えたし、啖呵を切って家を飛び出したのに、俺、何やってるんだろうって。気づいたら成人式のときに買ったスーツを着て、歌舞伎町のホストクラブ、『クラブ愛』の前に立ってました。

――色々な仕事がある中で、なぜホストを考えたのでしょうか?

城咲 何の資格も持ってない、高学歴でもない俺に、何ができるか考えたときに人をもてなすこと。人を楽しませることはできるんじゃないかって。あと、高校3年間はイタ飯屋の調理場のバイトをやってたんで、飲食+夜の世界とかその辺、そこは人よりも興味があり詳しかったんですよ。

自分がカッコイと思うNo.1ホストに

――『クラブ愛』で働き始めたのが21歳。わずか2カ月で売り上げトップになりましたが、ホストになった時点で目標やイメージするホスト像などありましたか?

城咲 ありましたね! 絶対この店でNo.1にならないといけないとすら思ってました。『愛』で働く前、俺が20歳の誕生日に『愛』に連れて行ってもらってるんだけど、そのとき接客してくれたホストさんたちは、みんなまともだったんです。でも自分が中に入って働いてみると、接客と呼べないホストが多い。悪い言葉でいうとジゴロ。裏でお金頂いて悪いことしてる「裏っぴき」っていうんですけど。お店の看板だけ使って裏っぴきして、お店にも迷惑だし邪悪ですよ。だから俺は、自分がカッコイイと思うNo.1ホストになる一択でしたね。