『踊る!さんま御殿!!』『笑っていいとも!』にも出演し、順調な芸能界デビューを飾った城咲仁。しかしそんな日々もやがて陰りが見えはじめ……。(全3回の2回目/前編を読む、続きを読む)

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ホストを引退して芸能界へ

――ホストとして絶頂期に引退。26歳のときに芸能界に入り、タレント活動をスタートされてみていかがでしたか?

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城咲 楽しかったですね。ロケも全て新鮮で、アフリカに行ってマサイ族と井戸を掘るロケとか、5000円渡されて福岡から東京までヒッチハイクで帰ってくるロケもしたし。トーク番組も楽しかったですよ。ただ、トークに関しては、城咲仁としてホストの話題にスポットが当たってるときは楽なんですよ。でも、だんだんひな壇に呼ばれるようになって、芸人さんやアイドルやマルチタレントとか色々な人が並んで喋ったときにトークで勝てない。ホストの話題じゃなくて、「はい! 共通の話題で面白くしてください!」って並べられたときになかなかウケなくて苦戦しましたね。

――ホストとして1対1でお話しするのと、芸人さんたちを含め、みんなでお話しするのは同じ話す仕事でも違うと?

城咲 全然違いますね。ホストってジワジワ攻めていって女の子を楽しませるとか、お酒飲んでるときの会話って、右いったり左いったりするじゃないですか。でもバラエティーって編集点作ったところで芸人さんが「バツーン!」って落としたり、ものの10秒、15秒で起承転結できるのってやっぱりすごいですよ。そもそもリズムが違う。うわぁ、すごいな。街の人気者が東京のテレビ局に集まって、全員で椅子取りゲームやってるんだ。大部屋の楽屋では喋らないけど、カメラが回った瞬間、声のトーンが上がってそんなに声張るんだ! って。あれ? 俺声でかい方だけどそんなに出てない?

 次第に、歌舞伎町でNO.1なんて笑わせるなよって、収録のたびに落ち込んで帰ってましたね。

――関西の番組でも驚いたことがあったとか。

 

「考える前に動く」でだんだん番組にも呼ばれるように

城咲 初めて『ナンボDEなんぼ』っていうメッセンジャーの黒田(有)さんの番組に出たときに、フルボッコにされたんですよ。「なんでお前みたいなやつがノコノコと芸能界入ってきたんだ。どうせ暇つぶしだろう。お前そんな話うまいならラジオでもやれ!」とか、錚々たる関西の重鎮に言われて。俺は、お前は来るなって言われたと思ったの。ザ・東京の人なんで。でも、帰りの新幹線に当時のマネージャーさんに「仁さんあれね、美味しいっていう感覚だよ。初めて出た番組であんなに仁さんのこといじってくれたら、言い返さなきゃ」って。僕、萎縮しちゃったんですね。怖くて、言葉強くて。だけどそういうことなの? って思ってから翌週以降、番組で一日に2本撮りとかあるじゃないですか。楽屋で前の収録とか見ながらこんなに入っていいんだ。

 東京の番組では見ないけど、関西では出まくってる人とかいますよね。そういう人たちのことも調べて。円広志さんと絡むときは、円さんの価値だって知ってるけど、わざと「なんすかこのおっさん芸人!」って噛みつくとか。もうなんでも言っちゃえ! やっちゃえ! って尖ってみたり。考える前に動き出すようにしたらだんだん番組にも呼ばれるようになりました。

――大きな番組にも出演が決まっていって。