もちろん談志さんにも弟子だった時代がある。その頃は師匠からの口伝で必死に噺を覚えたはずだ。
だが真打となり、特に晩年になると、準備も何もなく高座に上がる。自宅を出て会場に辿り着き、衣装を身につけ、あの緋毛氈の上の座布団に腰を据えるだけ。あとは、その場で思いついたことを当てもなく話しつつ、すっかり頭に入っている噺を披露する。これこそ名人芸ではないか。
談志の真骨頂、裏切り芸
落語には必ず導入の「枕」がある。小噺から始め、頃合いのところでサッと羽織を脱いだら本編に入るという、古来の様式美だ。
ところが晩年の談志さんときたら、どうだったか。たとえば、あるとき伺った高座は、一言一句覚えているわけではないが、概ね、こんな具合だった。
「いやあ、とっちらかっちゃってねえ。まったくやる気がないです。今は家族と離れて寂しく暮らしているわけで……なんて話は聞きたくもねーだろうけど、噺家が噺をやりたくねえってんだからしょうがない。本番をやる気がない人間を、わざわざ金を払って見に来ている、あんた方はバカだ。なんて言っている俺が本当のバカなんだから、どうにもしょうがねー」
こんな話が当てもなく続いたかと思ったら、いつの間にか噺が始まっていた。枕ともいえない愚痴をくどくどと聞かされて、裏切られたと感じる人もいたかもしれないが、僕には、これが裏切りを含めた芸、サービスに見えた。一度期待値を下げて下げて、あとはおもしろさのリバウンドを誘うのだ。
自分なんて大したことないと認めてこそ準備に取り組める
噺家としての才能、そして常にカッコつけていたいという性格。それらが相まって、談志さんは史上稀に見る孤高の噺家として伝説を残したのだと思う。
そんな天才は、この世にほんのひと握りしかいない。談志さんみたいな本物の天才を間近で見てきたからこそ、僕は、痛いほどに自分の程度がわかっている。
僕は天才ではない。どれほどキャリアを積もうとも、必死の準備が必要な凡人であることには変わりないのだ。あえていうなら、準備好きの大凡人。