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 のちに、担当となった『運命の人』の沖縄同行取材のときだったか、私が航空券の手配をしたことがあった。搭乗者の年齢が必要で、何気なく野上秘書に尋ねて購入した。すると次の打ち合わせのとき、先生に実年齢にしたのかと聞かれ、はいと答えると、

「それは失敗でしたね」

 一瞬、何のことか分からずぽかんとしていると、先生は恥じらうように目線をそらされた。そうか、たとえそれが飛行機の予約であっても、少しでも若くありたい──。なかば冗談であったのだろうが、普段の先生が見せることのない気持ちに、まったく思いが至らなかった自分に気がついた。確かに失敗だった。

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小説の舞台・沖縄に対する特別な想い

運命の人』は、第一部(一巻~三巻)が主に東京を舞台とした外務省機密漏洩事件の顛末を描いており、第二部(四巻)が沖縄編となっている。

 ごく早い段階から、家族や仕事などすべてを失った主人公を沖縄に行かせることは決まっていた。だが、西山氏は沖縄に行ったわけではないから、元記者が沖縄でどんな人びとに出会って何をするのか、最後にどうなるのか、ゼロから構築しなくてはならない。なかなか構想は固まらなかった。

 先生には沖縄に対する強い思いがあった。それは『沈まぬ太陽』の取材中、思い立って長年行きたかった「ひめゆりの塔」を訪ねたことがきっかけだった。沖縄戦の渦中で命を落としたひめゆり学徒隊は、先生と同世代だった。彼女たちが戦場で死に直面していた時に、自分は何をしていたのかと、自問しておられた。時にその自省は厳しすぎるようにも思えた。

主人公が住む場所に設定した伊良部島(沖縄県宮古島市)の海岸で(2002年4月)。
写真:小田慶郎

 2002年頃、沖縄取材を続けていると、先生に異変が起こった。脚の付け根に原因不明の疼痛があらわれるようになったのだ。それもかなりの激痛らしい。おそらく痛み止めなど服用されていたと思うが、それでも取材は続けられていた。米軍の上陸地点でもある本島中部の読谷村(よみたんそん)、南部の摩文仁(まぶに)の丘、平和祈念公園。移動する車内でしばしば痛みを訴えられながら、普天間基地が見える嘉数(かかず)の丘には肩を借りつつ登られ、チビチリガマや糸数壕にもできる限り近づいて取材した。対面取材となれば痛みのあるそぶりは見せなかった。沖縄戦当時の話を聞き、取材相手の手をとって涙を流した。

ガマの前の山崎先生。隣は取材に同行した沖縄の歴史研究家・大城将保氏(2002年4月)。撮影:小田慶郎