「驚くほど、強運の持ち主」
野上秘書はのちに、山崎先生を「驚くほど、強運の持ち主」と表した(『山崎豊子読本』新潮文庫)が、まさにこのときの先生は“持っていた”。ものの15分で、西山氏が長い沈黙を破って最近雑誌のインタビューに応じていたことがわかった。それもなんと、わずか1カ月前だ。西山氏の自宅の電話番号もすぐわかり、先生はその場で電話をかけ、あっという間に面会の約束を取り付けてしまった。単行本の完結まで数えるなら、ここからあしかけ10年にわたる『運命の人』の旅が始まったのだった。
私は入社して配属された週刊文春編集部時代から、何度か山崎先生の聞き書き(インタビューして談話原稿をまとめること)をしたり、北京の日本人学校での講演に同行させていただくなどしていた。
40歳以上も年上であるのに、当時20代の自分よりはるかにエネルギッシュで、好奇心旺盛で、いつも小説のことを真摯に考えておられた。その様子に素直に心動かされ、大阪・堺市のご自宅を辞する際には、いつも元気をもらったような気がした。
中国最高実力者に全く物おじしない日本人作家
97年、北京の日本人学校で行われた講演で思い出すのは、先生のユーモラスな「カニ歩き」だ。『大地の子』(文春文庫)の取材に尽力してくれ、先生が「恩人」と呼んだ胡耀邦総書記(当時)との会見の一コマを紹介されたのだが、日本人学校の教室が狭く、机と机の間を通るには横にならなければならないと訴えるため、すっくと立ちあがってカニのように横歩きする様を実演して見せたのだという。中国の最高実力者の前でカニ歩きとは! その様子を、講演の壇上でも再現され、笑顔でカニ歩きを見せる先生に会場が大いに沸いたのを覚えている(ちなみにカニ歩きを見た総書記は「あっはっはっ」と大笑したそうだ)。
いつも徹底した取材や厳しい執筆姿勢が語られる先生だが、時に、大阪船場の老舗昆布屋で生まれたやんちゃな嬢はんらしさを垣間見せた。その“お茶目な素顔”は、親しい人や担当編集者の間ではよく知られていたと思う。