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 そもそも方向幕はパソコンが普及する以前からあるもので、DTPのフォントは使われていない。当時の印刷は写植といって、文字をひとつずつ撮影してフィルムに焼き付けていく方法だ。しかし、この方向幕はひとつの写植フォントだけではなさそうだという。漢字のトメ、ハネの傾向が統一されていない。もしかしたら、職人が手書きした文字があるかもしれない。

このふたつのSの形が違う(筆者撮影)

 たとえば、「高安」のローマ字部分「TAKAYASU」の「S」は、文字の端が水平だ。しかし、となりの「東山」の「HIGASHIYAMA」の「S」は、文字の端が45度で切れている。なぜ統一されなかったか。実は、方向幕はいったん完成してからも、少しずつ改変されていくという。行先を追加していくうちに枠が足りなくなったとき、使わない枠を消して、新たな行先を書く。そのときにフォントが変わる可能性がある。

 フォントが明確に変わるところもある。近鉄線と阪神電鉄線を相互直通運転する電車方向幕は、近鉄線内で角ゴシック、阪神線内で字は丸ゴシックになる。同じ「三宮」でも、近鉄線内から向かう場合は角ゴシックを使い、阪神線内に相互乗り入れした電車が向かう場合は丸ゴシックだ。「相互直通の相手をリスペクトしているのだ」と感心した。いつも阪神や近鉄の電車に乗っている人はお気づきだろうか。

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阪神線内は丸ゴシック(上)、近鉄線内は角ゴシック

「本当に幕を回すだけで笑った」「ウチの6歳児が喜んでいます」

 同じ行先と種別が並ぶところも興味深い。これは電車側面の方向幕と連動しているから。同じ行先でも、側面の表記に「この車両は○○まで」などの注釈があり異なる場合は、それぞれの側面に対応した正面方向幕がセットされる。方向幕界隈の深淵が見えた……。

 奥田氏は、「行先と種別を実物どおりに、似ているフォントで作る」という方針では納得できなかった。愚直にも、ひとつひとつの種別と行先をすべて撮影して、ブラッシュアップして取り込んでいった。愚直のようでいて、しかしこれが最適な方法だった。

同じ行先がある理由は側面の方向幕が異なるため
(吉野線はpart2以降に収録予定)

 実物の方向幕の職人と、近鉄へのリスペクトをこめて、まじめに手間を掛けてデータを整えた。その結果、発売当初からネットで話題になり広まっていく。「本当に幕を回すだけで笑った」「思った以上に面白い」「かなりリアル」「ウチの6歳児が喜んでいます」「ひたすら見つめている」「車両を選べるのはアツい」などなど。