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でも、僕はそうとは言わないようにしている。角が立つからだ。「ああ、日本生まれ日本育ちですから。日本語の母語話者ですよ」と丁寧に答える。大人の対応を心がけている。ただ、僕だけが大人の対応をしないといけないというのもまた変な話である。

「在日コリアンは差別される」は過去の話

在日コリアンの間でよく言われてきた話に、「在日コリアンは、日本でも韓国でも差別される」というものがある。

たしかに、在日コリアンは日本ではいまでも一部の公務員になれないし、選挙権はない。韓国に行っても、在日コリアンは韓国語がうまくないということもあり、差別されることがある。在日コリアンが置かれたそのような状況を指し示す言葉として、僕も何度か聞いてきた。

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ただ、僕はこの言葉をそのまま現代に適用できるとは思っていない。出所はよくわからないが、在日コリアンがわりと自由に日本と韓国を行き来できるようになった1980~1990年代ごろから言われるようになったのではないか。その時代はまだわかる。日本での差別はきつかったし、韓国でも「よそ者」として扱われていた。

裁判闘争や市民運動で勝ち取った“変化”

ただ、現在の状況は、日韓ともにかなり変わっている。日本では、在日コリアンが国家公務員や地方公務員の管理職になれない状況、選挙権がない状態は続いているが、両親の世代と比べると、制度的な差別はある程度改善されてきたのも事実である。

僕の母(1961年生まれ)は韓国籍であることが理由で、日本の企業には就職できなかったし、「外国人登録」のために指紋を押さなければならなかった世代だ。

1970年代から1990年代にかけて、在日コリアンによる裁判闘争、日本人と協力した市民運動がさかんに行われた。運動の成果によって、就職差別はかなり改善され、指紋押捺の義務もなくなった。

在日コリアン三世である僕は就職活動の時に差別を感じたことはほとんどなかったし、大手の新聞社に勤めることもできた。1992年生まれの僕は「外国人登録」のために指紋を押した経験もない。