韓国の状況はどうか。K-POPやドラマが世界的な人気を博している。韓国を訪れる外国人は増えた。在日コリアンへの理解が進んだかは別として、韓国に来る外国人自体が増えたので、移住者、移民者への理解は以前よりは進んだだろう。
だから、在日コリアンの間で伝わってきた「日本でも韓国でも差別される」という言説は、現在ではそのまま通じないと思う。
いまだに「よそ者」扱いされている感覚がある
でも、こういう「言い伝え」というのは、伝えられるだけの理由がある。何かしらの真理を含んでいるからこそ、人から人へ、世代を通じて伝わるのだ。
この「言い伝え」を僕なりにアップデートしてみると、「日本でも韓国でもマイクロアグレッションを受けることがある」となる。在日コリアンという存在をよく理解しない人からの素朴な言葉に傷つくことは、日韓を問わず、今でもある。
日本で「日本語がうまいですね」と言われるとき。あるいは韓国で「あなたの韓国語は流暢じゃないから」と英語で話されるとき。僕の心はやっぱり傷ついてしまう。
同じ社会に住んでいる人として対等に扱われない感覚。いつまでも「よそ者」として仲間に入れてもらえない感覚。そうした感覚を抱かせてしまう言葉こそ、マイクロアグレッションだ。
僕にとって韓国語はただの「外国語」ではない
僕は、韓国語を「取り戻したい」と思って韓国にやってきた。母は大阪で生まれた在日コリアン二世で、韓国語は話せない。母方の祖母は6歳のとき、韓国から日本にやってきた。小さい頃は韓国語を話していたらしいが、日本での生活が長く、韓国語を話せなくなった。祖母が一度獲得し、失ってしまった言語。それが韓国語だ。
でも、「取り戻す」というのは本来、おかしな話である。僕にとって、韓国語は「外国語」のはずだ。母語ではない。母語とは生まれながらにその言葉を話していることを指す。僕の母語は日本語だ。僕は大阪で生まれ育った。人生の大半を大阪で過ごしてきた。酸いも甘いも、苦い思い出も楽しい思い出も、大阪にある。