経済安全保障の観点からも、国産の巨大AIを独自に構築して運用することは絶対に必要であると思うが、そのための開発費の捻出が難しいのが現状である。
小粒AIの集合体がASIを生み出す可能性
しかし、巨大AIが開発できないことのデメリットを打破できる可能性がある(それに気がつき始めたのが海外の研究者であるというのが残念なところだが)。何かというと、「スケール化」による性能の向上という手である。一つの巨大AIを作るのではなく、小粒AIを束ねてスケール化することで、上位のスケールとして大粒を越える性能のAIを構築しようという戦略である。
それぞれ特徴の異なる小粒AIの集合体のほうが、多様性の観点において単体の巨大AIよりも高い性能を発揮できる可能性すらある。実際、小粒モデルを集合させることで高い性能を発揮する基盤モデルの構築をめざすスタートアップ(sakana.ai)が米国ではなく日本で立ち上がっており、今後この流れが加速するかもしれない。
そして、小粒AIを集合させる考え方の延長線に、実はASI(Artificial Super Intelligence/人工超知能)が見えてくるのだ。ASIは、我々が構築するAIがスケールすることで創発(多数の個が群れることで、群れを一つの個とする能力が生まれる現象のこと)するのかもしれないのだ。
小粒AI同士を連携させて、大粒AIの性能を発揮させようとするのは、我々が構築できるAIのスケールの世界での話である。もちろん、ChatGPTのように、計算リソースやAIの大きさをスケールすることで性能が大きく向上したことと同じことが、小粒AIをスケールすることで起こせる可能性は十分にある。
我々の理解できない高いコミュニケーション能力を持つ言語を生み出したり、ノーベル賞級の新たな発見をしたりイノベーションを起こせたりする可能性は多分にある。そうであっても、そのAIは我々が理解できる範囲から大きくは逸脱しないのだと思うわけである。その意味ではそのAIはまだASIとは言えない。
我々を超える能力を持つASIが創発される?
これに対して、細胞のスケールが臓器のスケールを創発するように、我々が構築できるスケールでのAIが群れることで、上位のスケールのAI、すなわちASIを創発するかもしれない。その場合、アリが創発する行列の機能を認識できず、細胞が創発する臓器の機能を認識できないように、創発されるASIは、それを創発させたAIを越える能力を持ち、我々そしてASIを創発したAIは、ASIの知能を理解できないのかもしれない。
たしかに我々は、アリとアリが創発する行列という二つのスケールを観察し、理解することができるが、我々を越える能力を持つASIを客観的に観察できるかどうかはわからない。そうなると、もはや我々には理解できないであろうし、ASIが我々によい意味で介入するとしても、我々にはそれを自然現象や天変地異と区別できないのであろう。