昭和の街並みが残る歓楽地を訪ね、人に会い、飲み、話を聞いてきたノンフィクション作家・フリート横田が、一大歓楽地として知られた山梨県の石和(いさわ)温泉を訪れた。往時の繁栄、そしてバブル崩壊後、さらにはコロナ禍を経た現在の温泉歓楽地をどう見たのだろう。(全2回の1回目/2回目に続く)
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老若男女が仲良く浸かる「青空温泉」が誕生した経緯
甲府盆地の真ん中あたり、ぶどう畑が広がるのどかな農村。
笛吹川のほとり、柿畑の片隅に、突如として温泉が湧いた。昭和36年のことだった。噴き出すアルカリ性単純温泉はたちまち川へと流れ込み、まだ各家庭に風呂の普及しきらない時代、集落の人々が我も我もと訪れては、河原の石を積んでこしらえた野性味あふれる露天風呂につかった。老若男女が仲良く浸かる「青空温泉」がここに生まれた。
全国に青空温泉誕生が報じられると、牧歌的な風景はほどなく一変する――。弘法大師が杖を突いたら湧いた霊験ある温泉地には今からはもうなれない。この国が高度成長していく時代に出発した新興温泉地は、由緒や情緒で売る時間を持てなかった。
全国各地から一旗あげようと続々集まってきた人々がぶどう畑に突き立てたのは、「歓楽の旗」だったのだ。温泉旅館が次々に建てられていくのにとどまらず、ストリップ小屋、ソープランド、成人映画館、そして多くの芸者置屋が生まれ、ネオンを輝かせるクラブやスナックも次々と出店していった。
新宿から特急あずさ号で2時間もかからないアクセスの良さ、大型観光バスを連ねて乗り付けられる広々した温泉旅館・ホテルの連なる石和温泉は、企業経営者たちにも好まれ、社員旅行の定番地として一挙に名を響かせていったのである。社員たちの日頃の疲れを癒した歓楽とは――。
バブル最盛期、多くは男が訪れていた
私は昭和の温泉地を歩き、人に会い、話を聞いた。
「昔の石和は、まあ正直にいって、女性のお客様はお断りすることもありましたね」
その時代を知るあるホテル経営者は、苦笑した。昭和後期に連れられてきた社員たちは、多くは男たち。
金の鉱脈ともいえた温泉湧出よりわずか十余年。石和は繁栄を続け昭和49年には芸者480人(※1)にも上り、その10年後、バブル前夜の昭和59年には600人強にまで達したとの記述も残っている(※2)。
そしてこの国の歓楽街が空前の熱狂をみせた昭和末期、バブル最盛期の石和の夜はどれほどのものだったのだろう。