――『新宝島』は、手塚と酒井七馬による共作です。原作・構成を務めた酒井は元アニメーターであり、コマをたくさん使って動きを丹念に描写していくような「映画的」表現は、実は酒井の力が大きかったのではないかという研究があります。楳図さんもご自身の著書『恐怖への招待』の中で、酒井七馬について語られていました。楳図さんが漫画に「目覚める」きっかけとなった『新宝島』の衝撃は、手塚治虫単体で捉えるよりも、酒井七馬の存在も含めて考えたほうが正確なのではないかと思うんです。
楳図 おっしゃる通りで、『新宝島』は酒井七馬が入ることによって、今までにはなかったような登場人物やストーリーが本当に生き生きとした、素晴らしい作品になったと思うんですよ。僕は『新宝島』と出会う前に、酒井七馬さんもいっぱい読んでいたので分かるんです。
手塚治虫はどこがよかったかと言ったら、話の展開の中にわりとクールなところがあるんですよ。生き残ったと思った登場人物が、突然死んじゃった、とか。そういうドラマ性は、ちょっと参考にしなければと思った記憶があります。一方で、酒井七馬から影響を受けたのは、漫画の見せ方です。あの方が他の方とまったく違うのは、漫画でアニメーションをしていること。当時、まだアニメってあんまりなかったけど、子供ながらに「これはアニメーションだ」と思いました。
手塚治虫の描き方は、要点から要点へとコマが飛ぶんですよ。酒井は、要点と要点の間も描くんです。アニメーションがそうじゃないですか。前の絵と次の絵がちゃんと繋がってなければ、なめらかに動きませんよね。僕、漫画は「つなぎの文化」、「つなぎの芸術」と言っているんですけど、その「つなぎ」を学ばせてもらったのは、酒井七馬だったと思っているんです。
――漫画は本質的に静止画からなる表現だけれども、「つなぎの芸術」でもある。楳図さんは、そこを強く意識されている。
楳図 それが証明されたなと思うのは、昔「まんがビデオ」というのを作ってもらったことがあるんですね(1999年)。『おろち』の中の『骨』というお話を、最初のページの頭から一コマずつ大写ししていって、つなげたものを映像にしたんです。そうしたら、僕の漫画は映像としてなめらかに、するするするっと動いていくものになりました。たぶん、他の方の漫画で同じことをしてみても、ほとんどそうはならないんじゃないかなと思う。あぁ、自分はやっぱりそういうものを描いていたんだなと、その「まんがビデオ」を観て気がつきましたね。