――ストーリーに関しては、どのように構想されていったのでしょうか。
楳図 僕は何かアイデアを見つける時に、さっき言ったような「今までになかったもの」、要は「新しいもの」はどこにあるかというところに集中するんですね。「新しいもの」って、過去にはあんまりない。まったくないとは言いきれませんけど、どこにあるかと言ったらやっぱり、未来にありますよね。「未来って何だろう? ロボットかなぁ」となって、ロボットを出した『わたしは真悟』の続編を描いてみることにしたんです。
だから、思いつきは単純なんですよ。単純ってバカにされることが多いですけど、いっぱい考え込んで複雑に作り込んだから素晴らしいとは、一概には言えないと思うんですよね。単純ということばって、シンプルで力強いという意味もある。単純であるからこそ、世界共通人類共通で届くものがあると思うんです。
――今回の作品では絵の中に「ことば」が書き込まれているのが印象的でした。漫画が「絵とことば」から成り立っている表現だとすると、楳図さんの漫画は、どちらかといえば、美しい「絵」、恐怖を喚起する「絵」など、「絵」の部分が注目されてきたと思いますが、「ことば」も非常に重要な役割を果たしていると思うんです。今回の作品では、どのような心構えで絵に「ことば」を書き込まれたのでしょうか。
楳図 絵だけだったら、それは物でしかないんです。そこに文字が入ると、生きてくるんですね。「言霊(ことだま)」ということばがあるじゃないですか。オカルトチックに感じられるかもしれないけれども、真実だと思う。要するに、ことばって心なわけでしょう? それが絵にペタッと貼りついた時に、そこに心ができちゃうんですね。そうすると、生きてくる。
ただ、絵に貼り付けることばが日本語だったら、フランス人には分からない。ここが問題です。フランス人に見せたいのであれば、ことばをフランス語に置き換えなきゃいけない。日本語で書いたことばの意味からは、どうしてもちょっとズレますね。けど、その日本語でもって言おうとしている心情、「こういうことを伝えているつもりです」という一番本(もと)にある目的さえきちっと合っていれば、フランス語でも言霊はちゃんと生きてくるんです。
――『イアラ』(1970年)のことを思い出しました。「イアラ」ということばそのものには明確な意味がないんだけれども、ことばには力があるんだということ、つまり「言霊」についての作品ですよね。
楳図 ええ。『おろち』(1969年~1970年)もそうですよね。おろちは物事に貼りついた言霊であって、物事の意味を解釈していく役割というふうに考えてもらうと、あの存在って分かりいいと思うんです。人間がことばを見つけたということは、人間にとって大変素晴らしいことだったと思います。