漫画家の楳図かずおさんが、先月28日、胃がんのため88歳で亡くなりました。22年には代表作『わたしは真悟』の続編となる101枚の連作絵画『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』を発表して話題を集めていました。その作品を中心とした展覧会の開催を機に「文學界」で掲載されたインタビューを全文公開します。聞き手は同誌で楳図かずお論を発表した三輪健太朗氏です。(全2回の後編/前編から続く

【略歴】
うめず・かずお●1936年、和歌山県生まれ。55年に『森の兄妹』(共作)『別世界』を発表し、漫画家としてデビュー。以後、『おろち』『漂流教室』『洗礼』『わたしは真悟』『14歳』など時代を画す衝撃的な作品を発表してきた。95年に『14歳』の連載を終えた後、漫画執筆の筆を擱いていた。

聞き手●三輪健太朗
構成●吉田大助 
撮影●山元茂樹

キャラクターはどうでもいい

楳図かずおさん ©文藝春秋

――楳図さんはインタビューなどでよく、「自分はキャラクターではなくて、ストーリーを作ってきた」ということをおっしゃっています。『おろち』や『猫目小僧』(1967年~69年、76年)はキャラクターものと言えばキャラクターものだけれど、あくまでも彼らの存在を通してストーリーが描かれており、恐怖が表現されている。

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楳図 ちょっと乱暴な言い方かもしれないけど、キャラクターはどうでもいいんです。お話に合わせて描いているだけですから。唯一、『まことちゃん』(1976年~1981年)で描いたのはキャラクターなんですけどね。だけど『まことちゃん』のキャラクターと、例えば『ドラえもん』のキャラクターとでは、やっぱり違うものがあると思うんですよ。

 藤子(・F・不二雄)さんの場合は、この子はのんびり家で、この子はしっかりしていて、この子はおちゃめで……と、キャラクターたちがそれぞれ分かりやすい特徴を一つ持っている。そしてその特徴でもって、何かの出来事に対応していく。僕の場合はそうじゃなくて、「子供の持っている要素のすべてを、まことちゃんを通してどうやって出そうかな?」という考え方なんですよね。だから、いつか限界が来るんですよね。要素を出し切っちゃったら、永遠に描き続けることはできない。そこが他の漫画とは違うところだと思います。

楳図かずお『まことちゃん(1)』(小学館)

――「こういうキャラだから、こういうことが起きた時は、こういうことをする」という計算式があるわけではなく、むしろそこから何が出てくるか分からない存在として、まことちゃんはいるわけですね。

楳図 でも僕、雑誌の媒体に合わせて描いているだけなんですよ。『まことちゃん』は「サンデー」だったから、僕が思う「サンデー」風の内容にした。これは「(ビッグコミック)スピリッツ」風、これは「少年画報」風、こっちは「少女フレンド」風……と。逆に「この雑誌には合わないけど」って、無理やり合わない内容にすることもありますけどね。例えば「少年サンデー」には男の子ばっかりしか出ていないから、女の子にしようという感じで『おろち』を描いたりもしました。