――ようやく、ですか(笑)。
楳図 でも、いまだに文化的なところは遅れていますから。携帯電話も持っていないし、パソコンなんかは家で使えるようにはしているけど、ほとんど使ったことはないですし。口でしゃべって、それこそ言霊で、というような生活のほうが僕は合っているかなぁと思うんですよね。ぐちゃぐちゃ、ぐにょぐにょした自然の中で僕は生きてきたので、それは消えないんです。
でもね、新作を描いていて思ったんですが、お話を作るうえで僕の基本にあるものは、「この世界の素にあるものは何だろう?」ってところなんです。そこをやらないと、自分の中でやった気にならないんですよ。さっき大嘘をどれだけつけるかが大事って言いましたけど、真っ赤な嘘はイヤなんです。
このところ、ありがたいことに、というか、おかげさまで、というか、僕の漫画が海外でよく出版されているんです。アングレームで賞をいただいたこと(2018年1月、フランスで開催された「第45回アングレーム国際漫画フェスティバル」で『わたしは真悟』が遺産賞を受賞)が、「よし、新作をやろう」と決めたきっかけなんですよ。
時代や世の中がどんどんどんどん変わっていく中でも、外国であっても、40年、50年前の僕の漫画を読んでもらっているのは、「この世界の素にあるものは何だろう?」というところを描いてきたからだと思うんです。
――今日はお話をうかがいながら、手塚治虫から始まる漫画史だけを見ていると分からない、もう一つの日本漫画の系譜の中から、もう一人の大きな天才が現れたんだなという事実を、改めて感じることができました。楳図さんの目にはまだまだ頼りなく見えると思うんですけれども、楳図さんとちょうど50歳違いの私たち世代が、これから楳図かずおの作品の価値を語り継いでいきたい。そうすることで、またその次の50年も語り継がれていくようにしたいと私自身は思っております。
楳図 ぜひそういう方向になるように頑張ってください(笑)。若い評論の方にもお力をいただいて、漫画の世界を豊かにしていただきたい。商業ベースばっかりにならないような、漫画の世界ってあるといいなぁと思いますので。