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ことばが心を生み出す

――二七年ぶりに発表された新作『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』(2022年3月25日まで東京シティビュー〔六本木ヒルズ森タワー52階〕で開催中の「楳図かずお大美術展」で展示)についておうかがいしたいと思います。

 代表作の一つ『わたしは真悟』(1982年~1986年)の続編と位置付けられた本作は、「連作絵画」という形式を採用されてらっしゃいますね。そのニュースを最初に耳にした時は、『わたしは真悟』の各話の扉絵が一枚絵として鑑賞できる作品になっていたことを思い出し、それに近いものかな、なんていうことを勝手に想像していました。しかし展示場で実際に作品を拝見すると、はっきりとしたストーリー性を持っていました。むしろ70年代に描かれていた『闇のアルバム』のような、コマを割らずに一枚一枚の絵で物語を語る、という試みに近くも見えたんです。とはいえ吹き出しが入っているわけでもないですし、『闇のアルバム』よりもはっきりと一枚一枚が絵としての強さを持っている。言い換えると、一枚一枚は絵であるんだけれども、物語としてつながっている。楳図さんがおっしゃるところの「つなぎの芸術」としての漫画表現と、101枚の絵画で構成された新作との関連を是非うかがえないでしょうか。

『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』(部分) ©︎楳図かずお

楳図 僕は今の漫画がどうなっているかはぜんぜん詳しくないんですが、ちょっと周りから聞いたり見たりした時に、たいがいが商業ベースに乗ったウケる要素でできあがっているなと思っちゃうんですね。もっと違う方向のものがあればいいのになぁ、と。一方で、漫画の横を見ると絵画という芸術があるんだけれども、そちらもいい方向に進んでいるとはいまいち思えない気がしたんです。

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 漫画が「つなぎの芸術」だとしたら、絵画は「クライマックスの芸術」だと思うんですよね。絵画は基本的に「これだ!」という、クライマックスの一点勝負でできている。だったら、「つなぎの芸術」と「クライマックスの芸術」、漫画と絵画を合体させるようなものを作ったら、今までまったくなかったものができるぞ、と。偉そうに聞こえちゃうんですけど、漫画と絵画のどっちの分野に対しても「どうだ!」と、パンチを入れたいと思ったんです。