虐待する義父が一度だけ「ごめん、ごめん!」と土下座したワケ

――お母さんや周りの大人は、義父の虐待を知っていたのでしょうか。

ブローハン 最初は知らなかったと思います。義父も、お母さんにバレないように工夫しながら暴力を振るっていたので。ただ一度だけ、義父が焦って僕に謝ったことがありました。当時、駐車場付きの一軒家の1階部分に僕たち家族が、2階部分に義父の両親と義父の前妻との子どもが住んでいたんですね。

 ある日、義父が僕に暴力を振るった際に、僕は義父の両親に助けを求めようと2階に駆け込もうとしたんです。そうすると、血相を変えた義父が「ごめん、ごめん!」と言って僕に土下座をしていて。

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――義父は、どうしてそこまでしたのでしょうか。

ブローハン 義父の背中には、まるでムチで打たれたような大きなミミズ腫れのような傷跡があったんです。普段の言動からも義父は父親のことを恐れていることが汲み取れたので、おそらく義父も義父で、虐待されていたんじゃないかと思います。

 

義父からの虐待を母親に隠していた理由

――それから、義父による虐待はなくなりましたか。

ブローハン いえ、またすぐに再開しました。その頃には、お母さんが家にいる時間帯でも、義父に駐車場まで連れ出されて虐待をされるようになっていました。

――お母さんに、虐待のことを話そうと思いませんでしたか。

ブローハン 僕が本当のことを話したら、母と義父が喧嘩になって、今度は母が殴られるかもしれない、と思っていたんです。それに、僕のことで母を困らせたり、悲しませたりするのも嫌だったので、母には暴力を振るわれていることを頑なに隠していました。

 ただ僕が5歳くらいの頃だったか、母が僕の体の異変に気付いたことがあったんです。当時、義父は僕の頭につまようじを刺すというのをやっていたのですが、一緒にお風呂に入っていた母に、頭に出血した痕が無数にあるのを見られてしまって。

――虐待を知ったお母さんは、どうしたのでしょうか。

ブローハン そのあと、義父と口論をしていたのを覚えています。それからすぐあとくらいから、おそらく義父と引き離すためだったのだと思いますが、よその家にちょくちょく預けられるようになりましたね。

 預けられる先は叔母の家以外に、母の知り合いである日本人夫婦やフィリピン人、バングラデシュ人の家で暮らしたこともあります。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

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