フィリピン人の母と日本人の父を持つ、ブローハン聡さん(31)。4歳のときに母が再婚し、義父と3人で暮らすようになったが、まもなく義父からの苛烈な虐待が始まる。その後、小学5年生で義父の虐待が発覚し、児童養護施設に保護された。

 現在は、児童養護施設出身者として自身の経験を発信し、当事者支援団体「一般社団法人コンパスナビ」の代表理事も務めている。

 そんなブローハンさんに、義父との再会で蘇った“虐待のトラウマ”や、施設退所後に直面した困難などについて話を聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)

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ブローハン聡さん ©山元茂樹/文藝春秋

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義父と再会したら「殺してやろう」と思っていたが…

――施設で保護されたあと、14歳のときに、いつか自分を虐待していた義父に会いに行こうと決めたそうですね。

ブローハン聡さん(以下、ブローハン) はい、最初はどっちかと言うと復讐心から「殺してやろう」と思っていました。でも、価値観が大きく変わったこともあり、相手の命を奪ったり同じ目に遭わせたりするのは、亡くなったお母さんに誇れない人生だと思うようになったんです。

 だから、義父には違う方法で復讐をしようと思ったんですね。もし僕が世の中に何かインパクトを残すような人になったら、「こんなに強く生きているんだぞ」ということを示せるし、義父のおかげで人の痛みを思いやることができるようになったのだと、少し皮肉ですけど、感謝の意を伝えられるんじゃないかと。

――実際にその後、義父とは会ったのですか。

ブローハン 26歳のときに僕が取材を受けたメディアの企画で、会いに行きました。その頃にはもうあんまり「会いに行こう」とは思っていなかったので、心の準備ができていない状態で。カメラやマイクが入った状況で会いに行くと、家から出てきたのは義父の再々婚相手のフィリピン人女性でした。

 その日は義父がいなかったので、電話番号を伝えて帰ると後日電話がかかってきて。

 

「オイ、今更何の用だよ」虐待されていた当時の記憶が鮮明に蘇ってしまった

――義父はどんな反応だったのですか。

ブローハン 僕が出るなり「オイ、今更何の用だよ」とすごく低い声で言われました。その瞬間、虐待されていた当時の記憶が鮮明に蘇ってしまって。施設に入ってから義父に会っていなかった15年間で、僕は自分が強くなったと思っていたのに、急に全部否定されて元の自分に戻ってしまったような感覚に陥ったのに驚きました。

 経済的な恨み言と言いますか、「誰がお前の面倒見てたと思ってんの」といったことも言われたのですが、僕が「復讐とかではなく、自分の区切りとして真相を知りたいだけだ」ということを伝えると安心したのか、改めて会う機会を作ってくれることになりました。