フィリピン人の母と日本人の父を持つ、ブローハン聡さん(31)。4歳のときに母が再婚し、義父と3人で暮らすようになったが、まもなく義父からの苛烈な虐待が始まる。その後、小学5年生で義父の虐待が発覚し、児童養護施設に保護された。
現在は、児童養護施設出身者として自身の経験を発信し、当事者支援団体「一般社団法人コンパスナビ」の代表理事も務めている。
そんなブローハンさんに、子どものときに受けた性的虐待や、施設に入所するまでの経緯、当時の生活状況について、話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)
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空腹のあまり、ティッシュを食べたり、トイレの水を飲んだことも
――お母さんが義父の虐待に気づいたあと、叔母の家や、お母さんの知り合いである日本人夫婦やフィリピン人、バングラデシュ人等の家に預けられる機会が増えたそうですね。
ブローハン聡さん(以下、ブローハン) 叔母の家に預けられることが多かったです。叔母以外のところでは、食事があったりなかったりしました。基本的にみんな仕事に出かけてしまって数日不在ということもあるのですが、「何か適当に買って食べなさい」とお金を置いて行ってくれる人もいれば、何も用意してくれない人もいるんですよね。
空腹のあまり、ティッシュを食べたり、せめて水だけでも飲みたいと思うんですけど、勝手に水道を使ってもいいのかすらわからなくて。だからトイレのタンクに付いている手洗い管から出る水をコップに溜めて、それを飲んでいました。
アパートの暗がりに連れ込まれ、何度か性的虐待を受けた
――それはそれで、また別の苦しみがあった。
ブローハン 小学1年生くらいの頃、フィリピン人女性の家に預けられていたとき、その女性が家を空ける時はいつも隣の部屋の男性が面倒を見てくれることになっていたんです。ただ、その男性はアパートの共用部の暗がりに僕を連れ込んで、性的虐待をするようになりました。
局部を手で握らされたり、舐めさせようとしたり、お尻に挿入しようとしてくることもあったので、必死に拒みました。違和感はあっても、子どもなのでそれが悪いことなのかどうかもわからないまま何度か性的虐待を受けたことはありましたね。