フィリピン人の母と日本人の父を持つ、ブローハン聡さん(31)。4歳のときに母が再婚し、義父と3人で暮らすようになったが、まもなく義父からの苛烈な虐待が始まる。その後、小学5年生で義父の虐待が発覚し、児童養護施設に保護された。
現在は、児童養護施設出身者として自身の経験を発信し、当事者支援団体「一般社団法人コンパスナビ」の代表理事も務めている。
そんなブローハンさんに、義父の虐待が始まった経緯や、当時の過酷な生活環境について、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
父親から認知されず、14~15歳まで無国籍だった
――ブローハンさんの生まれ育った家庭について教えてください。
ブローハン聡さん(以下、ブローハン) 4歳まで、フィリピン人のお母さんと墨田区のアパートで2人で暮らしていました。実のお父さんはお母さんが働いていたフィリピンパブのお客さんでしたが、すでに別の家庭を持った人だったので、僕を認知はせず、何度か家に来ていたような感じです。
僕が4歳になってからはお母さんがまた別のお客さんと再婚したので、新しいお父さんと3人で住むようになりました。
――だとすると、もともとブローハンさんの国籍はフィリピンになるのでしょうか。
ブローハン いえ、実は最初は父親に認知されていなかった関係で無国籍だったんです。ただ、母方の叔母が言うには、母子手帳を100万円で買ったらしくて。
17歳のときに日本国籍を取得した
――お母さんはどうして母子手帳を買ったのでしょう。
ブローハン 病院で受診できるようにするためですね。あとは、お母さんが僕を祖父母に会わせるためにフィリピンに連れて行きたかったらしいのですが、その際にどうしても戸籍と言いますか、個人の証明ができるものが必要だったそうなんですね。それで母子手帳からパスポートを取った、という風に聞きました。
――ブローハンさんが戸籍を取得したのはいつ頃でしたか。
ブローハン 14歳から15歳のときにフィリピン国籍を取得して、17歳で日本国籍を取得しました。