ベランダに裸で放置されたり、ライターで皮膚をあぶられたり…エスカレートしていった義父からの虐待

――4歳から一緒に住むようになった義理のお父さんは、どんな方でしたか。

ブローハン 再婚当時、40歳前後くらいだったと思いますが、子どもが嫌いだったのかな、と思います。連れ子を認めないと言うか、養子縁組はしなかったようです。僕も虐待をされましたが、僕のお母さんと再婚する前に義父が籍を入れていた女性の連れ子にも、虐待をしていたらしくって。

 僕に対しては「お父さんと呼ぶな、クウヤ(タガログ語でお兄さんの意味)と呼べ」と言っていましたね。

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――義父による虐待が始まったきっかけは何だったか覚えていますか。

ブローハン 同居が始まってすぐだったと思いますが、よく平手で顔を殴られていたので、それが最初だったんじゃないかなと。

 身体的な虐待だと、他にもベランダに裸で放置されたり押入れに閉じ込められたり、玄関のドアに僕の体を挟んだりすることもありました。水風呂に沈められて、髪の毛を引っ張って引きずり回されたり。

 あとは皮膚をライターで炙られたり、つまようじで頭を刺されまくったり、鉄でできた傘の柄の部分で頭を殴られて、今でも傷が残っています。

「今日はやられる日なんだ」酔っ払った義父が寝室に来て…

――次第にエスカレートしていったような。

ブローハン そうですね、何かしら文句や言いがかりを付けてきては暴力のレパートリーが増えていくような。夜、お母さんが働きに出ているときは地獄でした。義父が酔っ払って帰ってくると、僕の部屋に足音が近付いて来るんですね。足音が寝室に向かっていけばその日は虐待をされない日なんですが、僕の部屋に向かって来る日は「今日はやられる日なんだ」って。

義父から虐待を受けていた子ども時代のブローハン聡さん(本人提供)

 横を向いて寝ている僕の頭の上に枕を置いて、その上でなんどもジャンプをするんですよ。鼻血が出ることもありましたが、僕が泣けばますますエスカレートするんじゃないかと思い、ひたすらこらえるしかありませんでした。