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「どうして僕だけこんな人生を歩まないといけないんだ」とりとめのない感情が爆発して…

――それは、どんな感情でしたか。

ブローハン どうして僕だけこんな人生を歩まないといけないんだ、僕が生まれてこなければお母さんはこんな不幸な目に遭わなくて済んだんじゃないか、お母さんの後を追いたい、というような、とりとめのない感情が次々と湧いて来ました。

 そんなときに助けられたのはピアノでした。深夜にヘッドホンを付けて電子ピアノをひたすら弾いていたのですが、そのときだけはすごく落ち着いて、その世界の中で悲しむことができたんです。だから、自分にそういう表現方法があって良かったなと思います。

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――当時、自分が置かれている状況についてはどう捉えていましたか。

ブローハン やっぱり学校や地域にいる友達と、自分が住み続けてきた家とは全然違うなと。中学2年生ごろまで辛かったのは、友達が「親がうざい、死んでほしい」みたいな親の悩みを言うんですよね。でも僕は、自分がお母さんと住みたかったことも、住めなかったことも言えなくて。そういうところで、周りとの違いは感じていました。

 でもそんな時期に衝撃を受けたのが、報道写真家のケビン・カーター氏が撮った「ハゲワシと少女」という1枚の写真でした。内戦が続くスーダン南部の村で、痩せ衰えてうずくまる餓死寸前の少女と、背後からそのときを虎視眈々と狙うハゲワシの姿を捉えた写真です。

「ハゲワシと少女」の写真が僕に生きる意味を与えてくれた

――どんな風に衝撃を受けたのですか。

ブローハン それまでは、僕は友達と比べてとても恵まれない環境で育って来たのだと、自分の生い立ちをマイナスに捉えてしまっていたんです。でも、その写真を見た瞬間、世界には紛争や難民といった問題があって、もっと凄まじい環境に置かれている人々もいるのだと、客観的に自分の人生を見つめ直すことができました。

 自分が暴力を受けていたことで、痛みがわかるような人間になったかもしれない。お母さんが虐待から守ってくれていたことで、優しさや愛しいという気持ちを知ることができたのかもしれない。「ハゲワシと少女」が僕に生きる意味を与えてくれたように、自分も誰かの生きるきっかけになれたら、と思うようになりました。

――高校2年生のときに、お友達に生い立ちをカミングアウトしたそうですね。

ブローハン 修学旅行の夜に仲の良い子と、それぞれが腹を割って自分の話をする流れになって。「どうせみんな僕のことなんて理解できないだろう」と思ってしまっていたのですが、その友達は僕の生い立ちの話を、泣きながら親身に聞いてくれて。

 さらに、その話を聞いて僕を特別扱いするでもなく、普通に接し続けてくれたんです。初めて、本当の友達ができたように思えました。その子には、本当に感謝しています。

撮影=山元茂樹/文藝春秋

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