――当時、心身はどういう状態になったのですか。

ブローハン ゲームに依存してしまって、タブレットやスマートフォンに入れたアプリを複数個同時にプレイする、というのを24時間。それくらい没頭して、現実からの逃げ口としてゲームをしていましたね。

 当時は食費すらあまり捻出できず、100円の鯖缶を白ご飯に乗せて食べる生活を続けていたせいで、今より20キロくらい痩せていました。その時期は、心身ともに結構苦しかったです。

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「フィリピンにあるお母さんのお墓に行った」心身ともに苦しい状態から脱することができたワケ

――その状況から脱することができたきっかけはありましたか。

ブローハン お母さんが亡くなって10年の節目に、フィリピンにあるお母さんのお墓に行ったのが大きかったと思います。現地に着くと、お母さんのきょうだいや家族が大歓迎してくれて。会いに行くことは14歳のときから決めていたので、大きな目標が達成できたこと、そして夢のように楽しい2週間を過ごしたことで、日本に帰ってからも心機一転、頑張れると思いました。

――ブローハンさんは今、社会的養護の必要な方々を支援する活動に携わられていますが、当事者支援活動を始めたのはなぜですか。

ブローハン フィリピンから戻ったあと、僕は携帯ショップで働いていたのですが、当時、知人を通して知り合ったのが、児童養護施設や里親家庭で育った若者の声を社会に届けるプロジェクト「OUR VOICE OUR TURN JAPAN~僕らの声を届けよう~」という活動の創立者・菊池真梨香さんです。菊池さんは養護施設の元職員の方で、僕と知り合ったときはまだそのプロジェクトを立ち上げる前でした。

 若者たちのためにどのような活動を展開していくかを考え続ける菊池さんの姿を見て、僕も応援したいと思いましたし、どんなことなら手伝えるのか、考えるようになりました。携帯ショップで働きながらだとなかなかお手伝いができなかったため、仕事を辞めて、それから菊池さんの活動を手伝うようになったのがはじまりです。

生まれて初めて「しんどい、助けてほしい」とSOSを発信

――当事者支援活動を通して、何か心境など変化はありましたか。

ブローハン 自分が縛られていた「家族」というワードから解放されたのは1つの変化です。僕は「お母さんの家族の輪から、自分はちょっと外側にいる」と感じることが日常の中でよくあって、それが寂しかったんです。そして経済的に厳しくても仕送りを続けたりしたことで、誰にも悩みを打ち明けられずに追い詰められてしまったこともありました。

 そんな中で「菊池さんなら、わかってくれるかもしれない」と思い、生まれて初めて「しんどい、助けてほしい」とSOSを発信することができたんです。

 

――人を頼れるようになる、というのは大きな変化ですね。

ブローハン 自分の弱さや生きづらさ、葛藤と向き合えるようになったんだと思います。僕が当事者として発信活動をしているのも、ただ「かわいそう」で終わってほしくないと言いますか、言葉を届けた先にいる人たちと一緒に、その問題について考えて変えていく、という目的があるんです。それって僕の中ですごくポジティブな活動であって、「それなら自分も力になれるかも」と思いながら発信をしています。