「父は私たちがいい大学に行って、金看板がある大企業とか、父と同じ公務員の道に進むことで、少しでも楽に生きていけるように、自分を助けた勤勉さの習慣を私たち姉弟にも身につけるように求めたのだと思います。もしかしたら、自分の夢を子に託したかったのかもしれません」――日本初の女ヤクザ・西村まこさんの父親はなぜ子どもたちに厳しかったのか? その理由を、著書『「女ヤクザ」とよばれて ヤクザも恐れた「悪魔の子」の一代記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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父親が「スパルタ教育」だった理由
なぜ、父親が、これほどまでに勉強熱心なのかというと、理由があります。
父は幼少時に交通事故で両親を亡くしています。幼い弟と二人兄弟だったのですが、兄弟別々に親戚の家に預けられ、たらい回しにされたそうです。当然、父を受け入れた親戚は自分の実子をかわいがりますから、父は子どもながらに相当の我慢と忍耐を学んだようです。
「よその釡の飯を食べる」という幼い子どもには厳しい環境のなか、勉強にだけは必死に取り組み、働きながら自弁で夜間大学を卒業し、県庁職員となりました。父にしてみると、「努力は人を裏切らない」し、「学問は身を助ける」と考えたようです。だからでしょうか、父は暇さえあれば読書をしていました。読んでいた本は、ぼんやりとしか覚えていませんが、「財務諸表論」のような難解な本です。
父は私たちがいい大学に行って、金看板がある大企業とか、父と同じ公務員の道に進むことで、少しでも楽に生きていけるように、自分を助けた勤勉さの習慣を私たち姉弟にも身につけるように求めたのだと思います。もしかしたら、自分の夢を子に託したかったのかもしれません。
もっとも、これは後年、私が年を重ねてから理解できたことです。当時は単純に竹の棒でたたかれるのが怖いから勉強しなくては……くらいの認識でした。