1956年にデビューを果たし、2026年でデビュー70周年を迎える小林旭。86歳になっても、「歌う大スター」として輝きを放ち続けている。
そんな小林旭が自身の華麗なる俳優人生を明かした自伝『小林旭回顧録 マイトガイは死なず』(文藝春秋)を上梓。ここでは同書より一部を抜粋し、美空ひばりとの結婚秘話を紹介する。(全6回の3回目/1回目から続く)
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美空ひばりの求婚
1962年11月5日、イギリスでビートルズがデビューし、日本がオリンピック景気に沸いていた年の晩秋、東京・日比谷の日活ホテルで小林と美空ひばりの結婚披露宴が盛大に行われた。
小林は当時24歳。ひとつ年上のひばりは国民的歌手として人気を博し、1960年の年末に「哀愁波止場」で第2回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「歌謡界の女王」の呼び名をほしいままにしていた。
披露宴には片岡千恵蔵や鶴田浩二、中村錦之助ら錚々たる顔ぶれが集まり、戦後最大級の華燭の典と謳われた。
〈我が胸に人の知らざる泉あり つぶてを投げて乱したる君〉
挙式に先立ってひばりが詠んだ短歌には、芸能人ではなくひとりの女性としての率直な思いが込められていた。小林は相聞歌をこう返した。
〈石を持ち投げてみつめん水の面 音高き波立つやたたずや〉
銀幕のトップスターと国民的歌手の結婚に世間は騒然
銀幕のトップスターと国民的歌手の結婚に世間は騒然となり、2人の一挙手一投足にマスコミの目が向けられた。
「何しろあの騒がれ方は尋常じゃなかった。芸能界の結婚で新聞の号外が出たのは初めてのことらしいけど、いまどきのカップルと比べる方が野暮というものだろうね。
最初に報じたのはたしかスポーツニッポンだった。まだ交際が公になっていない頃、ひばりの番記者が撮影所に来て俺に罠をかけたんだよ。
朝早くから待ち伏せしてるから、てっきり『渡り鳥』のネタを取りに来たのかと思ったら、『旭さん、ひばりさんと結婚するんだって?』なんて出し抜けに聞く。ひばりが広島の舞台で『旭と結婚する』と発表したというんだが、そんなバカなことがあるはずもない。俺がうかつにも『そんなの嘘だよ。本人に電話してみるよ』と言ってしまったばかりに、あくる日には結婚報道が出て大騒ぎさ」