1956年にデビューを果たし、2026年でデビュー70周年を迎える小林旭。86歳になっても、「歌う大スター」として輝きを放ち続けている。

 そんな小林旭が自身の華麗なる俳優人生を明かした自伝『小林旭回顧録 マイトガイは死なず』(文藝春秋)を上梓。ここでは同書より一部を抜粋し、小林が抱えていた借金について紹介する。(全6回の6回目/1回目から続く

小林旭さん ©文藝春秋

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俳優は「男子一生の仕事にあらず」

 不動産事業を始めたとき、小林はゴルフ用地を視察するために自家用のヘリコプターを購入していた。

「現地を見るのに必要だって言うんで会社でヘリを2機、買ったんだ。大小あって、大きい方は10億円近くしたんじゃないかな。

 小さい方は4、5人しか乗れないから、ゴルフに行く時に友達乗っけたりしてね。もう1機は席を詰めれば18人は乗れたと思う。ディズニーランドの近くの木場あたりのヘリポートに停めて、月150万円でパイロットも雇った。

 自分用にジャンボジェットのファーストクラスと同じくらいの椅子を2つくっつけて、ふんぞり返ってたんだから馬鹿げてるよね。

 会社が倒産した後、そのヘリは広島の消防署に買われたらしい。何かの公演で行った時に『小林さんが持っていたヘリをうちの署で使ってます』なんて話をチラッと聞いたことがある。

 あの頃は、何十億って金が常に動いてたから、金銭感覚が狂ってたんだと思う。自分の周りに大金があるのが当たり前みたいな気になってたけど、もとを正せばすべてが借金。そんな当たり前のことさえ全く分かってなかったんだ。もっとも、もし当時使った金を貯金していたら、今も残っていたかと言えば、そうも行かなかったんじゃないかな。何と言うか、すべてが時の流れで起きたこと。逃れられない運命じゃないけど、俺にはどうすることもできなかったと思う」

©文藝春秋

やくざの連中が、仕事の現場にもついて来て…

 借金で首の回らなくなった小林のもとに、債権者やその筋の人たちが押しかけた。

「やくざの連中が、仕事の現場にもついて来てるわけだ。俺が『殺すなら、いつでも殺していい。その代わり明日から金は入らなくなるよ』、『今、歌わしときゃあ、小林旭は日に300万は稼ぐよ』って言うと、連中は黙ってたよ。実際にステージに立てば日銭を稼ぐから、俺をいじめに来た連中も次第に大事に扱ってくれるようになった。

 自己破産も考えたけど、弁護士の先生が『お前、そんなことしたら国籍がなくなるぞ』なんて脅かすんだ。