「この子たちが死ねば、私は自由になって、楽しい生活を送れるんだわ」
昼夜逆転した生活を送るようになると、自分の就寝中に泣き叫ぶ子供たちが煩わしく感じるようになり、食事、入浴、おむつ交換など、最低限のことしかしなくなった。2人の顔さえ見なくなり、子供たちをほったらかしにして、交際相手と遊びに行くようになった。
事件直前、真理は交際相手の男性と別れることになり、そのことでふさぎ込んでいたところ、長男が心配して「ママー、なしたの」とすり寄ってきたり、三男も真似してハイハイしながら足にすがりついて来たりしたため、「もうウザイ! これ以上、子供たちの面倒は見たくない。殺してやりたい」と考えるようになった。
また新たな交際相手ができた真理は、その相手の元に転がり込みたいと考え、子供たちを捨てる決意を固めた。
「この子たちが死ねば、私は自由になって、楽しい生活を送れるんだわ」
真理は最後の晩餐のつもりで、冷蔵庫にあった残り物でチャーハンを作り、子供たちに食べさせた。そして、ボストンバッグに服を詰め、新たな交際相手と同棲するために家を出た。
すべてから解放された真理は、ほとんどの時間を寝て過ごし、〈泣きたいときに泣けと言ってくれる人がいて、とっても幸せ〉などとSNSのブログに綴っていた。周囲には「友人夫婦に部屋を貸し、子供たちを預かってもらっている」とウソをついていた。
一方、母親がいなくなった市営住宅では、地獄絵図が繰り広げられていた。4歳の長男は冷蔵庫内のケチャップやマヨネーズ、生米や生ゴミもあさって生き延びたが、1歳の三男は1週間ほどで餓死した。
真理はその間、食べ物を与えに行くかどうか迷ったこともあったが、粉ミルクを持って自宅まで行ったものの、中の様子を想像してドアを開けられず、その前にミルクの缶を置いて立ち去った。この頃、真理はこんな電話を市役所にかけたこともある。
「夜の仕事なので、子供たちの面倒が見れないんです。子供たちを預かってもらえませんか?」