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輪島朝市は“焼け野原”に

 気兼ねなくインタビューに応じてくれた山岸氏の様子が一変したのは、翌8月6日のことだ。この日、レンタカーを借りて輪島市に向かった。地震により各地で陥没していた能越自動車道はようやく通行止めが解除され、1週間前に両側通行が可能になった。だが、輪島市内に到着すると、全壊した建物があちこちにあり、まだまだ復興には程遠い現状。自宅が近づくにつれ、山岸氏の表情が曇っていった。

地震で倒壊した建物 ©文藝春秋

「そこの十字路をまっすぐ進むと私の家です」

 山岸氏はそう言って道案内してくれたが、道路は大きく隆起し、車が通ることはできない。一本手前の道を曲がり、自宅前に車を止めると惨状が広がっていた。隣の家は全壊しており、無数の瓦礫が駐車場に停めた軽自動車を押し潰している。テレビでよく目にした市内中心部にある7階建てのビルも、基礎部分から横倒しになったまま(上の写真)。被災から半年以上経っているものの、ほぼ何も変わっていないのではと思われる光景だった。

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 山岸氏の自宅玄関のドアも大きく斜めに傾き、正面から邸内に入ることはできない。山岸氏は庭から敷地内に入ると、粉々になったガラスドアをこじ開け、土足で部屋の中に入った。

庭から自宅に入る山岸氏 ©文藝春秋

「お正月の準備をしていたけれど、全てダメになってしまいました」

 床の間の壁は剥がれ落ちて内部の断熱材はむき出しとなり、初日の出が描かれた掛け軸は破れている。居間の壁には<新しい風>と記された、孫娘の書初めが掛けられていた。

「地震直後の記憶ははっきりしませんが、天井に吊り下げていた蛍光灯が落下して頭を直撃しました。ハッと意識が戻ると、同居している息子の妻が『お義父さん、早く逃げなきゃ!』と助けに来てくれ、すぐに家の外に避難したのです」

 仕事机の前に腰かけた山岸氏は、こう溢した。

「前を向かなきゃいけないけど、この現状を見ると、やりきれないよね……」

焼失した輪島朝市通り ©文藝春秋

 この日は、地震直後の火災で全焼した「輪島朝市通り」も訪問した。だが、建物は一つもなく、文字通り“焼け野原”で、通りに200以上の露店がかつては並び、毎朝多くの人で活気を帯びていたとは信じられないほどだ。山岸氏も「これは酷いもんだね……」と呟くばかりだった。