新宿・歌舞伎町。ホストクラブが軒を連ねるこの街で、トッププレイヤーとして名を馳せたホストがいる。そのホスト、一条蘭氏(42)は23歳で1000万プレイヤーとなり、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

 だが、そんなそんな売れっ子ホストでもいつしか「おじさん」扱いされ“老害化”していく。栄光と屈辱を味わった一条氏に、20年間のホスト生活を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む

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一条氏

ホスト生活一番の失敗とは

 一条氏が語る。

「僕は36歳まではプレイヤーだったんです。ホストとしては長い方ですね。大体、ホストは30歳前後で一度、プレイヤーとしての見切りをつける人が多いです。僕も26歳で店の代表になってからは、途中でナンバー(ホストの1か月間の売り上げ成績表)からは外れました。30歳前後から、自分の売上を目的にするバリバリの現役というわけではなく、後輩の教育とかお店の売上にも目を向けた役割になっていました。後輩が呼んだお客さんと話して、その子の売り上げが上がるようにサポートするとかですね」

 一条氏は26歳で自ら立ち上げた新店の代表に就任した。しかし、この時期が「ホスト生活の一番の失敗」と振り返る。

「売り上げが立たなくて、3年で畳んじゃいました。従業員のモチベーションを上げるマネージャーとしての技量が、当時の僕には足りていませんでしたね。自分のネームバリューがあれば、勝手にお客さんは来るだろうとタカを括っていた部分もあったと思います。当時、僕が所属していたAIR GROUPで畳んだお店がなく、僕の店が閉店第1号になったのもショックでした。そこで責任を取るために、『ホストを辞めます』と会社に言ったんです」

「僕、老害っぽくなってるな」

 ただ、一条氏は「全日本ホストグランプリ」に輝いたこともあるなど、グループの成長を支えた人物でもあった。そのため、当時のグループの社長・桐嶋直也氏からは現役引退を引き止められたという。

「ただ、自分の中で一度消えかけた火はなかなか戻りませんでした。新店を畳んでから、グループの本店に所属していたんですが、正直僕はたるんでましたね。周りは新世代のホストが入ってくるし、『僕、老害っぽくなってるな』っていう自覚もありました」

 その頃、30代のホストをメインとするグループの新店が立ち上がることが決まり、当然一条氏にも声がかかった。ラストチャンスと意気込んだ一条氏だったが、店のコンセプトとは裏腹に、他店と変わらぬ若いプレイヤーたちが多く所属していた。

 一条氏は、この時期にプレイヤーとしての限界を感じたという。